将軍塚「大日堂」
山科区逗子奥花鳥町
将軍塚は、8世紀の末、桓武(かんむ)天皇が平安京造営に際し、王城鎮護のため、高さ8尺(約2.5メートル)の土の人形に甲冑(かっちゅう)を着せ、弓矢を持たせ、京都の方を向けて埋めた塚であると伝えられている。平安末期以後、天下に異変があるときは必ずこの塚が鳴動して前兆をあらわすという伝説が生まれ、「源平盛衰記」によると、源頼朝(よりとも)挙兵の前年、治承3年7月には、三度にわたってこの塚が鳴動し、ついでまもなく大地震が起ったといいます。
写真は将軍塚「大日堂」で、青蓮院門跡の飛び地寺院となっています。
SoftBank 904SH
京都都市内を囲む連峰のひとつの東山は、青龍(四神のひとつ)が住する地で、仏教の密教宇宙観からは、胎蔵界の曼荼羅に相当する考えからこの地で発掘された石仏の胎蔵界大日如来をお祀りしています。 将軍塚の展望台からの京都市内(南西方向)将軍塚の展望台は、京都では夜景の名所として知られています。午後4時30分頃の撮影です。正面に京都タワー、タワー左に京都駅ビル。写真右の大きな屋根は本願寺の「御影堂」です。
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山科区逗子奥花鳥町
将軍塚は、8世紀の末、桓武(かんむ)天皇が平安京造営に際し、王城鎮護のため、高さ8尺(約2.5メートル)の土の人形に甲冑(かっちゅう)を着せ、弓矢を持たせ、京都の方を向けて埋めた塚であると伝えられている。平安末期以後、天下に異変があるときは必ずこの塚が鳴動して前兆をあらわすという伝説が生まれ、「源平盛衰記」によると、源頼朝(よりとも)挙兵の前年、治承3年7月には、三度にわたってこの塚が鳴動し、ついでまもなく大地震が起ったといいます。
写真は将軍塚「大日堂」で、青蓮院門跡の飛び地寺院となっています。
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京都都市内を囲む連峰のひとつの東山は、青龍(四神のひとつ)が住する地で、仏教の密教宇宙観からは、胎蔵界の曼荼羅に相当する考えからこの地で発掘された石仏の胎蔵界大日如来をお祀りしています。 将軍塚の展望台からの京都市内(南西方向)将軍塚の展望台は、京都では夜景の名所として知られています。午後4時30分頃の撮影です。正面に京都タワー、タワー左に京都駅ビル。写真右の大きな屋根は本願寺の「御影堂」です。
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