2015年1月29日 荒瀬ダムダムの撤去は蒲島熊本県知事ではなく潮谷義子前知事のおかげ | 水源連 (suigenren.jp)
荒瀬ダムの撤去は蒲島熊本県知事ではなく潮谷義子前知事のおかげ
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蒲島郁夫(熊本県知事)のインタビュー記事を参考までにお伝えします。ダム関係の発言を下記に掲載します。
蒲島氏は川辺川ダムの白紙撤回を求めた知事として評価されていますが、蒲島氏は決して脱ダム派の知事ではありません。
全く不要な県営の路木ダムを強引に建設し(一審の住民訴訟では住民側が勝訴)、阿蘇の自然を壊す直轄・立野ダムの検証で事業推進の意見を出し、また、荒瀬ダムに続いての撤去が熱望されていた瀬戸石ダム(電源開発)の水利権更新も認めました。
荒瀬ダムについても潮谷義子前知事が決めた撤去方針を変えようとしましたが、その方針を変えるためには球磨川漁協の同意が必要となっていたことから、やむなく撤去することにしたようです。
川辺川ダムについては蒲島氏は就任早々に「川辺川ダム事業に関する有識者会議」を設置しました。有識者会議の答申は、委員8人の意見が5対3で分かれ、推進の方向が強い内容になりました。
私たちの想像ではこの答申を受けて、蒲島氏は推進の方向に舵を切ろうと考えていたと思いますが、知事の見解を発表する前に、ダムサイト予定地の相良村長と、ダムの最大の受益地とされていた人吉市長が川辺川ダムの白紙撤回を表明したことにより、
により、蒲島氏は考えを変え、「球磨川は県民の宝であるから、川辺川ダムの白紙撤回を求める」との見解を発表したと思われます。
蒲島氏は信念の人ではなく、所詮はオポチュニストでした。
川辺川ダムに対して懐疑的な姿勢をとり続け、荒瀬ダム撤去の路線を敷いた潮谷義子前知事が信念の人であると思います。
なぜ「くまモン」は熊本県で生まれたのか?―蒲島郁夫(熊本県知事)
塩田潮の「キーマンに聞く」【9】(PRESIDENT Online TOP 2015年1月26日)http://president.jp/articles/-/14421?page=2
(ダム関係の発言)
【塩田】注目を集めていた川辺川ダムや水俣病の問題でも新たな挑戦に踏み出しました。
【蒲島】川辺川ダム建設計画については、ご承知のとおり就任5ヵ月後に白紙撤回しました。今、ダムによらない治水を目指す方向に進んでいます。水俣病問題では、特措法の成立過程でロビー活動を行いました。特措法は、水俣病問題の解決の中で一定の成果が得られたのかなと思います。水俣病は長期にわたる問題ですから、私の任期中にすべてに対応できるとは思いませんが、いい方向に向かうようにと思っています。
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【塩田】知事選出馬以後、ここまでの約7年間で一番辛かったことは何ですか。
【蒲島】1回目の選挙のとき、県民のために頑張ろうと思って選挙戦を戦っていて、唾を吐きかけられたことがありました。一生で初めてです。自分は一所懸命やっていても、必ずしもすべてが歓迎されるものではない。そのとき初めて政治の厳しさがわかりました。
知事就任後では、川辺川ダムのほかに、もう一つ、荒瀬ダムという大きなダムの撤去のときが辛かったです。前知事のときに撤去が決まっていたのですが、撤去に90億円くらいかかるというのです。財政再建に取り組んでいるとき、すぐ撤去すれば電力会社からおカネが入ってこなくなるし、今は電力も必要とされているので、もう少し財政的に余裕ができたときに撤去すればいいのではないかと思い、就任後2~3カ月のとき、方向転換しました。
その頃までは、理論的に正しければやれると思っていました。ところが、政治はそうではありません。撤去してほしい、昔の川を取り戻したいというものすごく深い思いがあるわけです。その深い気持ちに気づかず、それに応えることができませんでした。それが辛かった。実際は民主党政権下で、国土交通省と環境省が一定の補助をしてくれることになりました。そのような支援を活用しながら、現在、ダム撤去工事を進めています 。
荒瀬ダム撤去へ/熊本県知事「存続」を撤回/全国で初 (jcp.or.jp)
2010年2月4日(木)「しんぶん赤旗」
荒瀬ダム撤去へ
熊本県知事「存続」を撤回
全国で初
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熊本県八代(やつしろ)市の県営荒瀬ダムについて、蒲島郁夫知事は3日、「存続」方針を撤回し、2年後に撤去に着手する考えを明らかにしました。県庁で記者会見し、発表しました。実現すれば、全国で初めての既存ダム撤去となります。
蒲島知事は撤去の理由について、今年3月末に失効する発電用の水利権を新たに取得できるか不透明なことなどをあげ、存続は困難と判断したと説明。「前知事の判断を凍結・存続へ転換し、(再び)撤去に変えたことに関して、県民に大変申し訳なく思っている」と述べました。
撤去事業は2年後の2012年度から着手。費用約92億円。県財政・県民に支障がでないよう交付金など国の財政的支援、環境などに配慮した技術的支援を求めるとしています。ただ、蒲島知事は「最大限努力する」などとし、撤去までの具体的な道筋は示せませんでした。一方、地元漁協関係者などからは“即時撤去”を求める強い声が上がっています。
昨年11月14日には、球磨(くま)川流域の住民ら900人以上が結集し、ダム撤去などを求めた集会を開催。「球磨川・川辺(かわべ)川の流れがダムで留まることなく、清流のまま八代海に届く日を目指す」とした集会宣言を採択していました。流域住民らの長年の撤去運動が結果として、知事の「存続」姿勢を転換させたものといえます。
川・海再生に全力
日本共産党の仁比そうへい参院議員・比例予定候補の話 潮谷前知事の撤去決断を撤回した蒲島知事が、流域住民の声についに応えざるをえなくなった。球磨川流域と八代海の再生へ全力をあげたい。
荒瀬ダム 1955年、球磨川下流の坂本村(現八代市坂本町)に建設された県営の発電ダム。流域住民は長年にわたり、水害や水質汚濁、悪臭、放水時の振動、下流の藻場や干潟の消滅にともなう八代海の魚介類の減少などに苦しみ、撤去を求めて運動をしてきました。
02年に潮谷・前知事が、住民の願いに応える形で「撤去」を表明。しかし後任の蒲島知事は08年11月、財政難などを理由にダム「存続」を決定、住民から厳しい批判を受けていました。
荒瀬ダム撤去費用をめぐる動き (kawabegawa.jp)