一昨日水道のモーターが壊れ一晩水が出ない状態だったけど一番大変なのはトイレの水だった。これほんと大量の水使う。台所。トイレ。洗面所とバケツで徒歩20歩ぐらいの息子の家から運んだだけで身体中痛い!足痛い!肩痛い!腰痛い!背中痛い!ほんと無理出来ん。水めっちゃ大切。話違うけどこれから日本大丈夫かな?だんだん世界中がおかしくなりよる。紛争に否応無く巻き込まれそうな!気候もおかしいし。地震。噴火どこで起こるか判らんし。
産業フェスティバルに行った。昨夜偉そうに私を責めるじじいには黙ってぼけ姫ちゃんと二人。ぼけ姫ちゃんが歩きながらあー今日はおおじいじの誕生日だと思い出す。やっぱり私の両親は曾孫のぼけ姫ちゃんを可愛がっていたので覚えている。生きていれば100歳。ツツジ咲く偽木の橋に腰かけて。彼方の世界でも穏やかにくらしていますか?
皇太子殿下は結婚前価値観が同じ人と言っておられたが本当歳をとると絶対必要です。私と夫は見える世界が違いすぎる。歳をとって益々意固地で頑固になる彼に呆れています。私だけが感じるのでは無く同居している息子や嫁や孫達も呆れています。たまに帰ってくる娘も同じです。少し前までは娘や孫達の注意なら何とか聞いていたけど今は駄目。老いて認知が来ているかもと考えると。あーあ又朝が来て顔みたら何か文句つけてくる。何でも言うこと聞いて来たつけがこんな形であらわれる。1日でも早く死んで思い知らせてやりたい。腹立つわ!でも息子や娘に迷惑かけるね。そんな事死んだらわからないのでまあ良いか?他人様には好い人に映る老人の実態です。
加賀の千代女の心境。退職した夫は毎日山?を駆け巡り。元気いっぱい。今日は義兄に頼まれた桜の大木を斬り倒に行くらしい!樹齢400年ぐらい経つらしいけど枯れて危険らしい。昔から山で人々の暮らしを見守ってきたんだね。私は夫にお酒と塩を渡した。ありがとう。切らせて貰うよと言いなさいといったら珍しくハイわかりましたと。もし若木が出ていたら残しなさいよと言ったら又又珍しくハイと頷いた。枯れて上の枝がおちて危険らしいので私は場所も知らないけど桜は過去の自然を知っている。桜さんに敬意をこめて。
お天気が良いので気分もルンルン!家事もはかどる。早めに片付け1人ドライブ。朝倉のパン屋さんへ天然酵母パンを買いに行く。タオル美術館までの真っ直ぐな坂道and下り坂が大好きなのだ。噛みしめ食べるパンとレーズンパンを買う。レーズンがいっぱい入っている。他所のパン屋さんではなかなか無い。帰りの車の中は美味しいパンの匂いであー早く帰ってコーヒーを入れて1人昼飯を。おじいさまは今頃山の喫茶店で昼飯のはず。
毎日の様に山を駆け巡る夫と友人。帰ると凄いスピードで皮を剥き火にかけるので我が家の筍は柔らかく美味しい。しかも大量なので私はこの時期忙しい!友人達に貰って貰うため駆け廻る。しかもほかにも蕗、蕨、蓬 とさまざまな山の幸が我が家に集まる。若い頃私がこれらを始末できる様になるとは誰も予想しなかった。本当母が生きていれば!びっくりする!まあ生きていればまだまだ私に注文つけているだろうけど。
中華そばとうどんの次は蕎麦。私は蕎麦の味はわからない。子供の頃母の実家で祖父が煤で真っ黒になった鉄瓶のお湯で練って食べさせてくれた蕎麦がきの味が今でも一番好き。どこの蕎麦やさんでも注文してみるけどやっぱり違うのよねー。無理なんだよねだって本当に混ざりけのない自家製の蕎麦を祖母が石臼で挽いていた。お醤油も自家製だったし。きな粉も縁側で石臼でゴリゴリ挽いていた。今考えれば昔はグルメだね。
中華そばの次にうどん。
これは絶対譲れない私のソウルフード。私の母校の食堂のうどん。食堂と言ってもその頃はうどんしかなかった。葱と薄い蒲鉾が2切れぐらい油揚入っていたかな?シンプルです。2杯ぐらいは女生徒でも食べていた。毎日食べても飽きなかった。なつかし~い。でも卒業すれば食べる機会もなくて。でも今も私はうどんはバザーなんかのシンプルなうどんが一番好きなので普段は外食でうどんを食べる事はあまりない。歯ごたえとか香川のうどんとかわたしには関係ない。あの時のうどんが私のソウルフード。
これは絶対譲れない私のソウルフード。私の母校の食堂のうどん。食堂と言ってもその頃はうどんしかなかった。葱と薄い蒲鉾が2切れぐらい油揚入っていたかな?シンプルです。2杯ぐらいは女生徒でも食べていた。毎日食べても飽きなかった。なつかし~い。でも卒業すれば食べる機会もなくて。でも今も私はうどんはバザーなんかのシンプルなうどんが一番好きなので普段は外食でうどんを食べる事はあまりない。歯ごたえとか香川のうどんとかわたしには関係ない。あの時のうどんが私のソウルフード。
我が一族のソウルフードは実家の近所の中華そば屋の中華そば。ラーメンとは言わなかった。いつもおそば取ろう。と、誰かが言い出す。実家にはいつも誰かがたべた丼があった。毎日食べても飽きなかった。昔は夜12時過ぎでも店開いていた。50年以上前受験勉強が終わるとご褒美はそば。内職を頑張ったおばさん達も食べていた。除夜の鐘聞きながら中華そば食べていた。今も営業している。息子と娘のDNAで孫達も食べに行きたがる。私だけ御無沙汰している。明日行ってみようかな?