【6】へ
避難所に着いて窓口に本を届け、引き返そうとした手塚は、ふと体育館に人だかりができているのを見かけた。
誰か有名人が慰問に来てるのかなと興味がわいた。そのとき、昨日買出しに出た誰かが、ここにすごい美人のボランティアが来てるとうわさしていたことを思い出した。
もしかして……。手塚は体育館へ行きかけ、足を止めた。
デバガメ根性はみっともない。やめよう。
踵を返し、玄関に戻ろうとした。任務完了。お役ご免だ。
先ほど本を届けた窓口の前を通ることになり(窓口といっても体育館玄関に長机を一脚出しただけの仮設のものだったが)、会釈して通り過ぎようとすると、担当の女性に呼び止められた。
「あ、すみません。さっきの図書館のかた」
「はい。何ですか」
「この荷物、さっそく体育館へ届けてもらえねえべが。私運ぼうとしたけど、ちょっとここ離れられないもんで」
人のよさそうなおばちゃんだ。手塚は「いいですよ」と嵩のあるダンボールを苦もなく抱えあげた。
「どこに置けばいいですかね」
「うーん。なんか、今読み聞かせしてくれてる人がいるみたいだがら、その人さ聞いでみでけねえべが。私も役場の人間でねえもんで、すんません」
ご飯の間だけってちょびっと頼まれだのさ。気さくに話しかけてくる。
「読み聞かせ?」
さっきの人だかりはそれか。
じゃあ、うちの隊から誰か派遣されてたのか。でも一正も笠原も、一言だってそんなこと言ってなかったぞ。
おかしいな。内心首を傾げながらおばちゃんには
「分かりました」
と請け負って手塚は体育館に向かった。
声を聴いた瞬間に分かった。
柴崎だと。
姿は、人垣に隠されて見えない。けれど、この声は間違えようがない。忘れようがなかった。
ずっと、ずっと聴きたかった声だから。
このひと月、想わない日はなかった。何をしていても、どんな風景を見ても柴崎のことが頭にあった。
手塚は荷物を入り口の横にそっと置いた。そして吸い寄せられるように、人だかりになっているほうへと向かった。
夜祭りの縁日の、赤い提灯に惹かれて屋台をさまよう子供のように、どこか夢心地で歩いていく。
はたして、人の頭と頭のあいだから覗いた姿は、やはり柴崎で。
手塚はまぶしい思いで目を細めた。
なぜ、ここに。なんで読み聞かせを?
疑問はあった。けれども、それは瑣末なことだった。
目の前にいま柴崎がいるということ。それが、何物にも代えがたい確かな事実だった。
柴崎は化粧っけのない顔をして、髪を縛ってジャージに身を包み、子供たち相手に話を聞かせていた。内容は、ノラ猫が努力して幸せになる話だった。タイトルはどうしても思い出せなかった。
少し面やつれしたように見えるけれど、それでも子供たち相手に語って聞かせる柴崎は生き生きとして、武蔵野で見せるときと同じ、いやそれ以上に熱が篭っているように見えた。
手塚はしばし、柴崎の読み聞かせに耳を奪われる。聴衆の一人となって、話の世界を旅していた。
懐かしさと、抑えきれない嬉しさが心を震わせた。
読み終わったときは拍手喝采。歓声が柴崎の周りで上がった。
手塚も拍手を送った。純粋にすごいと思った。
「すげえ。おねーちゃん、すっげ上手だ」
「ほんとだ。もっと、もっと読んで。違うの読んでよ」
子供たちが柴崎に群がるのを見て、手塚の前にいた中年の女性が声を掛ける。
「大人が聞いででも惚れ惚れしたー。なんで、あんたそったらに上手いのせ」
柴崎は珍しく照れているようだった。いつもならこういう賛辞には「当たり前でしょ。誰がやってると思ってんの」ぐらいは吹いて、澄ましているくせに、今日は謙遜して殊勝にしているからなんだか可笑しかった。
つい、口を挟んでいた。
「プロだからですよ」
と。
中年の女性が振り返る。あら、いい男、と目を見開く。
柴崎が身を硬くするのが見て取れた。猫が毛を逆立てるように、辺りの気配を窺っている。
相変わらず、聡いやつ。
手塚は目を細めたまま、柴崎の様子を見つめていた。
「プロ? んだの。やっぱどっかのタレントさんだの?」
「そうじゃないですよ。でもプロなんです」
お前は読み聞かせのプロだ。そうだろ。
心の中頷きかける。と、そこで柴崎が人垣の中、手塚の姿を探し当てた。
ばち、っと目が合う。
手塚は微笑みかけたまま。柴崎はというと、
「! や、な、なんでっ」
見る間に真っ赤になった。激昂して立ち上がった。
「なんであんたがここにいるのよ、っ!」
なんで、って……。
それはむしろ俺の台詞だろと突っ込みを入れようか、それとも馬鹿正直に笠原に頼まれてクリーニングが済んだ本を図書館から届けに来たんだと言うべきか迷う。
結局どちらも選択せず、手塚は、
「……すまん。って言ったほうがいいのか? この場合」
と言った。
「ばかっ!」
怒鳴って柴崎は人垣を割って逃げ出した。
反射で手塚も追う。頭で考える前に、身体が反応した。
必死に振り切ろうと体育館から廊下に飛び出したところを捕まえる。
掴んだ細い手首にどきっと心臓が鳴る。
こんなに、こんなに華奢だったか。内心動揺しながらも、言葉を差し出した。
「柴崎、待てよ」
「や……離して」
柴崎は手を振りほどくため、身をよじった。絶対に目をあわそうとしない。
あまり強く握ると、折れてしまいそうで手塚は怯む。けれども離すわけにはいかない。
この手は離さない。
「こら、暴れるなって」
「暴れてなんかない!」
「落ち着け。何も逃げることないだろ。傷つくぞ普通に」
「だ、だって~~」
柴崎が掴まれていない方の手の甲で口を覆ったまま、手塚の足元に視線を据えて喚いた。
「あ、あんたが急に現れるのが悪いんでしょっ! なんで、今日に限って、このタイミングで来るのよっ。し、信じらんない」
言っているうちに怒りを堪えきれなくなったのか、こぶしを作って手塚の胸を柴崎は打った。
「いてっ」
「にやにやして人のやってるの黙って見て、――もうッ、やなヤツ! 嫌いっ」
また打つ。
柴崎の拳にぶたれても、痛くもかゆくもない。
嫌いと言われて却ってやに下がってしまう。おいよせ。そんな可愛いこと言うな。
ひと月以上もブランクがあって、ようやく会えて。それだけで結構いっぱいいっぱいなのに、その上そんな可愛いことを涙まじりに言われたら、俺の鉄の自制心だってあてにならないぞ。
「誤解だ。にやにやなんかしてないって」
手塚はわずか目を逸らす。それを後ろ暗さととらえたか、柴崎は攻勢に出る。
「してたわよ。こーんないやらしい目で見てた!」
「お前なあ……。その形容だと俺の人間性ってどうなる。読み聞かせをそんな目で見るやつって」
「だってそうだもの」
「柴崎」
声のトーンを一段上げた。すると、ぴく、と柴崎の肩が反応する。
抵抗を止めた。
手塚は柴崎の手を把ったまま、彼女の耳元で囁いた。
「――場所、変えないか。ここじゃ、ちょっと……」
はっ。
言われて柴崎は辺りを見回す。すると、さっき読み聞かせた子供たちや、体育館にいた大人たちが、自分たちを遠巻きにしてじいいいっと見つめているのに気づいた。
体育館から飛び出した柴崎と手塚は、彼らの格好の興味の対象となった。美男美女で人目を引くこと、尋常ではない。なんだなんだ、痴話げんかかと野次馬が二人の後を追い、廊下に群らがっていた。
先ほどの読み聞かせのときと同じだけ、いやそれ以上に期待に満ちた熱い視線を注がれ、柴崎はどかんと赤くなった。それは手塚にもしっかり伝染した。
子供の一人が素朴な疑問を口にする。
「おねえちゃん、そのおにいちゃん、ねーちゃんの彼氏だが」
その直撃弾にちゅどーんとやられて、二人は爆死しそうになる。
柴崎はぐいぐいと手塚の肩を押した。
「い、行きましょ。撤収よ。ここは分が悪いわ」
「同感」
人混みを掻き分けて外に出る。自然と、手と手を繋ぐ形になって。
【8】へ
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避難所に着いて窓口に本を届け、引き返そうとした手塚は、ふと体育館に人だかりができているのを見かけた。
誰か有名人が慰問に来てるのかなと興味がわいた。そのとき、昨日買出しに出た誰かが、ここにすごい美人のボランティアが来てるとうわさしていたことを思い出した。
もしかして……。手塚は体育館へ行きかけ、足を止めた。
デバガメ根性はみっともない。やめよう。
踵を返し、玄関に戻ろうとした。任務完了。お役ご免だ。
先ほど本を届けた窓口の前を通ることになり(窓口といっても体育館玄関に長机を一脚出しただけの仮設のものだったが)、会釈して通り過ぎようとすると、担当の女性に呼び止められた。
「あ、すみません。さっきの図書館のかた」
「はい。何ですか」
「この荷物、さっそく体育館へ届けてもらえねえべが。私運ぼうとしたけど、ちょっとここ離れられないもんで」
人のよさそうなおばちゃんだ。手塚は「いいですよ」と嵩のあるダンボールを苦もなく抱えあげた。
「どこに置けばいいですかね」
「うーん。なんか、今読み聞かせしてくれてる人がいるみたいだがら、その人さ聞いでみでけねえべが。私も役場の人間でねえもんで、すんません」
ご飯の間だけってちょびっと頼まれだのさ。気さくに話しかけてくる。
「読み聞かせ?」
さっきの人だかりはそれか。
じゃあ、うちの隊から誰か派遣されてたのか。でも一正も笠原も、一言だってそんなこと言ってなかったぞ。
おかしいな。内心首を傾げながらおばちゃんには
「分かりました」
と請け負って手塚は体育館に向かった。
声を聴いた瞬間に分かった。
柴崎だと。
姿は、人垣に隠されて見えない。けれど、この声は間違えようがない。忘れようがなかった。
ずっと、ずっと聴きたかった声だから。
このひと月、想わない日はなかった。何をしていても、どんな風景を見ても柴崎のことが頭にあった。
手塚は荷物を入り口の横にそっと置いた。そして吸い寄せられるように、人だかりになっているほうへと向かった。
夜祭りの縁日の、赤い提灯に惹かれて屋台をさまよう子供のように、どこか夢心地で歩いていく。
はたして、人の頭と頭のあいだから覗いた姿は、やはり柴崎で。
手塚はまぶしい思いで目を細めた。
なぜ、ここに。なんで読み聞かせを?
疑問はあった。けれども、それは瑣末なことだった。
目の前にいま柴崎がいるということ。それが、何物にも代えがたい確かな事実だった。
柴崎は化粧っけのない顔をして、髪を縛ってジャージに身を包み、子供たち相手に話を聞かせていた。内容は、ノラ猫が努力して幸せになる話だった。タイトルはどうしても思い出せなかった。
少し面やつれしたように見えるけれど、それでも子供たち相手に語って聞かせる柴崎は生き生きとして、武蔵野で見せるときと同じ、いやそれ以上に熱が篭っているように見えた。
手塚はしばし、柴崎の読み聞かせに耳を奪われる。聴衆の一人となって、話の世界を旅していた。
懐かしさと、抑えきれない嬉しさが心を震わせた。
読み終わったときは拍手喝采。歓声が柴崎の周りで上がった。
手塚も拍手を送った。純粋にすごいと思った。
「すげえ。おねーちゃん、すっげ上手だ」
「ほんとだ。もっと、もっと読んで。違うの読んでよ」
子供たちが柴崎に群がるのを見て、手塚の前にいた中年の女性が声を掛ける。
「大人が聞いででも惚れ惚れしたー。なんで、あんたそったらに上手いのせ」
柴崎は珍しく照れているようだった。いつもならこういう賛辞には「当たり前でしょ。誰がやってると思ってんの」ぐらいは吹いて、澄ましているくせに、今日は謙遜して殊勝にしているからなんだか可笑しかった。
つい、口を挟んでいた。
「プロだからですよ」
と。
中年の女性が振り返る。あら、いい男、と目を見開く。
柴崎が身を硬くするのが見て取れた。猫が毛を逆立てるように、辺りの気配を窺っている。
相変わらず、聡いやつ。
手塚は目を細めたまま、柴崎の様子を見つめていた。
「プロ? んだの。やっぱどっかのタレントさんだの?」
「そうじゃないですよ。でもプロなんです」
お前は読み聞かせのプロだ。そうだろ。
心の中頷きかける。と、そこで柴崎が人垣の中、手塚の姿を探し当てた。
ばち、っと目が合う。
手塚は微笑みかけたまま。柴崎はというと、
「! や、な、なんでっ」
見る間に真っ赤になった。激昂して立ち上がった。
「なんであんたがここにいるのよ、っ!」
なんで、って……。
それはむしろ俺の台詞だろと突っ込みを入れようか、それとも馬鹿正直に笠原に頼まれてクリーニングが済んだ本を図書館から届けに来たんだと言うべきか迷う。
結局どちらも選択せず、手塚は、
「……すまん。って言ったほうがいいのか? この場合」
と言った。
「ばかっ!」
怒鳴って柴崎は人垣を割って逃げ出した。
反射で手塚も追う。頭で考える前に、身体が反応した。
必死に振り切ろうと体育館から廊下に飛び出したところを捕まえる。
掴んだ細い手首にどきっと心臓が鳴る。
こんなに、こんなに華奢だったか。内心動揺しながらも、言葉を差し出した。
「柴崎、待てよ」
「や……離して」
柴崎は手を振りほどくため、身をよじった。絶対に目をあわそうとしない。
あまり強く握ると、折れてしまいそうで手塚は怯む。けれども離すわけにはいかない。
この手は離さない。
「こら、暴れるなって」
「暴れてなんかない!」
「落ち着け。何も逃げることないだろ。傷つくぞ普通に」
「だ、だって~~」
柴崎が掴まれていない方の手の甲で口を覆ったまま、手塚の足元に視線を据えて喚いた。
「あ、あんたが急に現れるのが悪いんでしょっ! なんで、今日に限って、このタイミングで来るのよっ。し、信じらんない」
言っているうちに怒りを堪えきれなくなったのか、こぶしを作って手塚の胸を柴崎は打った。
「いてっ」
「にやにやして人のやってるの黙って見て、――もうッ、やなヤツ! 嫌いっ」
また打つ。
柴崎の拳にぶたれても、痛くもかゆくもない。
嫌いと言われて却ってやに下がってしまう。おいよせ。そんな可愛いこと言うな。
ひと月以上もブランクがあって、ようやく会えて。それだけで結構いっぱいいっぱいなのに、その上そんな可愛いことを涙まじりに言われたら、俺の鉄の自制心だってあてにならないぞ。
「誤解だ。にやにやなんかしてないって」
手塚はわずか目を逸らす。それを後ろ暗さととらえたか、柴崎は攻勢に出る。
「してたわよ。こーんないやらしい目で見てた!」
「お前なあ……。その形容だと俺の人間性ってどうなる。読み聞かせをそんな目で見るやつって」
「だってそうだもの」
「柴崎」
声のトーンを一段上げた。すると、ぴく、と柴崎の肩が反応する。
抵抗を止めた。
手塚は柴崎の手を把ったまま、彼女の耳元で囁いた。
「――場所、変えないか。ここじゃ、ちょっと……」
はっ。
言われて柴崎は辺りを見回す。すると、さっき読み聞かせた子供たちや、体育館にいた大人たちが、自分たちを遠巻きにしてじいいいっと見つめているのに気づいた。
体育館から飛び出した柴崎と手塚は、彼らの格好の興味の対象となった。美男美女で人目を引くこと、尋常ではない。なんだなんだ、痴話げんかかと野次馬が二人の後を追い、廊下に群らがっていた。
先ほどの読み聞かせのときと同じだけ、いやそれ以上に期待に満ちた熱い視線を注がれ、柴崎はどかんと赤くなった。それは手塚にもしっかり伝染した。
子供の一人が素朴な疑問を口にする。
「おねえちゃん、そのおにいちゃん、ねーちゃんの彼氏だが」
その直撃弾にちゅどーんとやられて、二人は爆死しそうになる。
柴崎はぐいぐいと手塚の肩を押した。
「い、行きましょ。撤収よ。ここは分が悪いわ」
「同感」
人混みを掻き分けて外に出る。自然と、手と手を繋ぐ形になって。
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手塚のかわいらしさに、鼻血を噴きそうになりました。
…ちょっとティッシュをとってきます
書いていて痒い部分も多々あったのですが、
そうおっしゃってくださると嬉しいです。汗
私は早速あささんに直してもらったおもてなしの文を読んで悶えてました。地元のかたの強みですねえと。早くこちらもお目にかけられるといいなと思います。