【13】
二人がタクシーから降りると、海と桜が出迎えた。
見事なコントラストだった。深い青と淡い薄紅色。
凪いだ水平線が日光を集めてきらきらと輝きを放って目を射る。
女が目を細め、遠くを見るときにするように手をかざした。
「なつかしいわね。見覚えがあるわ」
隣に立った男が答える。
「そうだな」
二人はしばらく春風に吹かれるまま、海と桜を眺めた。
昔、ここを訪れたときの津波の傷跡はもうどこにもない。
整地された海岸がえんえんと続いているだけだ。
女がつぶやく。
「国有地になったんですってね、ここ」
「らしいな。確かに、あの地震の後ここに家を建てようとは思えない」
「……」
女がふっと目を背後に移した。
「中学校はあっちだったわね。で、図書館は向こう」
指差して、それぞれの方向を確認する。
「ああ。校舎はあれじゃないか。屋根の色は変わってるが、外観は前のままだ」
男も指差す。
「ほんとね」
「……昔、歩いたよな。この道」
憶えてるかと尋ねる。女は頷いた。
「うん。夜、中学校まで送ってくれたのよねあなたが」
「お前を帰したくなくて、わざとゆっくり歩いたっけな」
「懐かしい。あの時は手を繋ぐこともできなかったのよね」
女が笑う。
男はふと声のトーンを変えた。
「手をつなごうか」
右手を差し出す。
女はちょっと目を見開いて驚き顔を見せたが、すぐに「うん」と左手をそれに重ねた。
手をつないで二人は歩き出す。
同じ歩調で。
図書館までの道のり。駅から直行するのはもったいなくて、途中でタクシーの運転手にここで降ろしてもらった。
復興した町並みを見ながらゆっくりと歩く。
見覚えのある景色。でも、明らかに以前とは違う新しい顔をした建物、住居が軒を連ねている。そして、そこを行きかう車と人。
どこの町でも見られる、日常の喧騒がそこにある。
でも二人の目には新鮮に映る。以前ここを訪れたときは、停電から復旧した直後だったので、みな電力をできるかぎり使わないように倹しく暮らしていた。公道でも車はほとんど走っていなかった。
人々は助け合いながら、辛い中でも笑顔を忘れずに暮らしていたと記憶している。
もう十何年も前のこと。
「本当に復興したのね」
感慨深げに女が言う。
「そうだな」
「すごい。なんだか泣きそう」
声が震えるのは、彼女らしくない。普段感情を表に出すのをよしとしないからだ。
でも今日は特別だ。それに隣にはこの男しかいない。
気心を許したたった一人の。
「ああ。人の力って、すごいな」
人間って、すごいんだな。男も感嘆をこめて囁く。
目に映る光景すべてがまぶしく、そして愛おしい。
なんの変哲もない海辺の町の景色。でもそこかしこに人が人として生きて、暮らしを紡ぐことの悦びに溢れている。
胸に熱くこみ上げる想いを噛み締めながら二人は歩く。
海風がそんな二人の背を優しく押す。桜の花びらが肩に散る。
「来られて、よかったわね。また」
女が言う。
「ああ。一緒に来れてよかった」
男が答える。
と、そこへ向こうから自転車に乗った、中学生とおぼしき女の子がやってくる。
制服のスカートが風に翻るのを、必死で押さえ片手でハンドルを握るのが危なっかしい。
すれ違おうとしたとき、何を思ったか女がその中学生を呼び止めた。
「あの、すいません」
きいっとブレーキをかって、数メートル先で中学生が自転車を止めた。
肩越しに振りかえる。ショートヘアの快活そうな少女。
女は訊いた。
「町立の図書館はこっちの方向でよかったんでしたっけ?」
「図書館ですか? はい、そうです。そこの角を右に曲がって何本か交差点を行くと見えてきますよ」
印象と同じだけはきはきと答える。
制服の裾からのぞいた膝小僧がちょっと乾いているのが若さを感じさせた。部活用具だろうか、自転車のかごには無造作にラケットケースが突っ込んであった。
テニス部かな、そんなことを思いながら、
「あそこの中学の生徒さん?」
「そうです」
この町では見ない美人さんだなあと見とれながら少女は頷く。
「昔、ここに来た事があるの。もう15年も前かな」
「14年だろ」
少女はそれを聞いて少し表情を変えた。
「14年前っていうと、震災のときですか」
「そうね」
「じゃあ自衛隊の方ですか。それとも警察?」
「まあ、似たようなものです。今日、久しぶりに来たんで、懐かしくて」
男が答えた。
少女は自転車から下りた。ハンドルを握ったまままっすぐに立つ。
「私、震災の直後に生まれたんです。両親からいろんな人に助けられて産むことができたんだってずっと聞かされてきました」
「そうなの」
女と男が目を見交わす。少女は二人に「どうも有難うございました」とぺこりと頭を下げた。
「いや、別に君にお礼を言われることじゃ」
「そうよ」
「でも、有難う」
少女ははにかんで言った。
春の光の中、笑顔がまっすぐ二人に届く。
「……あなた、お名前は?」
何かのご縁かもしれないからと女が尋ねる。
「私ですか。桜って言います。震災の後、桜が満開のときに生まれたから」
安易ですよね。うちの両親と舌を出す。
「桜ちゃん」
「いい名前だ」
男と女が目を見交わして頷く。少女の雰囲気にぴったりだ。
愛情に裏打ちされた、朗らかさと育ちのよさが窺える。
「はい、自分でも割と気に入ってるんです」
少女は自転車のスタンドを立て、居住まいを正して訊いた。
「私もお名前聞いてもいいですか? 何かのご縁ですから」
「俺たちの?」
「いいですよ、もちろん。私たちはね、――」
女が微笑む。
満開の桜が三人の頭上で風を受けて揺れた。(了)
あとがきです。
まずは、このたびの震災の被害に遭われました方々に心よりお見舞い申し上げます。
重ねて復興のため、夜となく昼となく尽力されていらっしゃる方々に、心から敬意と感謝の気持ちを申し上げます。
早いもので、 震災からもう二ヶ月。
北国の地にも、春はめぐり日常が戻ってまいりました。
傷を抱えながらも前へ進み始めているという実感と、同時に、あの地震や津波のダメージ、それに苦しむ人々を「穢れ」のように扱い始めた風潮を感じずにはいられません。
風化することが一番怖いです。
怒りを声高に口にすることは簡単ですが、私は自分にできることを続けていくしかないのかなと思っています。非常に地道ですが、長いスパンで。
その気持ちひとつでこの話を書き上げました。
最終話に願いをこめて。明るい未来を信じて。
【がんばろう東北】
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二人がタクシーから降りると、海と桜が出迎えた。
見事なコントラストだった。深い青と淡い薄紅色。
凪いだ水平線が日光を集めてきらきらと輝きを放って目を射る。
女が目を細め、遠くを見るときにするように手をかざした。
「なつかしいわね。見覚えがあるわ」
隣に立った男が答える。
「そうだな」
二人はしばらく春風に吹かれるまま、海と桜を眺めた。
昔、ここを訪れたときの津波の傷跡はもうどこにもない。
整地された海岸がえんえんと続いているだけだ。
女がつぶやく。
「国有地になったんですってね、ここ」
「らしいな。確かに、あの地震の後ここに家を建てようとは思えない」
「……」
女がふっと目を背後に移した。
「中学校はあっちだったわね。で、図書館は向こう」
指差して、それぞれの方向を確認する。
「ああ。校舎はあれじゃないか。屋根の色は変わってるが、外観は前のままだ」
男も指差す。
「ほんとね」
「……昔、歩いたよな。この道」
憶えてるかと尋ねる。女は頷いた。
「うん。夜、中学校まで送ってくれたのよねあなたが」
「お前を帰したくなくて、わざとゆっくり歩いたっけな」
「懐かしい。あの時は手を繋ぐこともできなかったのよね」
女が笑う。
男はふと声のトーンを変えた。
「手をつなごうか」
右手を差し出す。
女はちょっと目を見開いて驚き顔を見せたが、すぐに「うん」と左手をそれに重ねた。
手をつないで二人は歩き出す。
同じ歩調で。
図書館までの道のり。駅から直行するのはもったいなくて、途中でタクシーの運転手にここで降ろしてもらった。
復興した町並みを見ながらゆっくりと歩く。
見覚えのある景色。でも、明らかに以前とは違う新しい顔をした建物、住居が軒を連ねている。そして、そこを行きかう車と人。
どこの町でも見られる、日常の喧騒がそこにある。
でも二人の目には新鮮に映る。以前ここを訪れたときは、停電から復旧した直後だったので、みな電力をできるかぎり使わないように倹しく暮らしていた。公道でも車はほとんど走っていなかった。
人々は助け合いながら、辛い中でも笑顔を忘れずに暮らしていたと記憶している。
もう十何年も前のこと。
「本当に復興したのね」
感慨深げに女が言う。
「そうだな」
「すごい。なんだか泣きそう」
声が震えるのは、彼女らしくない。普段感情を表に出すのをよしとしないからだ。
でも今日は特別だ。それに隣にはこの男しかいない。
気心を許したたった一人の。
「ああ。人の力って、すごいな」
人間って、すごいんだな。男も感嘆をこめて囁く。
目に映る光景すべてがまぶしく、そして愛おしい。
なんの変哲もない海辺の町の景色。でもそこかしこに人が人として生きて、暮らしを紡ぐことの悦びに溢れている。
胸に熱くこみ上げる想いを噛み締めながら二人は歩く。
海風がそんな二人の背を優しく押す。桜の花びらが肩に散る。
「来られて、よかったわね。また」
女が言う。
「ああ。一緒に来れてよかった」
男が答える。
と、そこへ向こうから自転車に乗った、中学生とおぼしき女の子がやってくる。
制服のスカートが風に翻るのを、必死で押さえ片手でハンドルを握るのが危なっかしい。
すれ違おうとしたとき、何を思ったか女がその中学生を呼び止めた。
「あの、すいません」
きいっとブレーキをかって、数メートル先で中学生が自転車を止めた。
肩越しに振りかえる。ショートヘアの快活そうな少女。
女は訊いた。
「町立の図書館はこっちの方向でよかったんでしたっけ?」
「図書館ですか? はい、そうです。そこの角を右に曲がって何本か交差点を行くと見えてきますよ」
印象と同じだけはきはきと答える。
制服の裾からのぞいた膝小僧がちょっと乾いているのが若さを感じさせた。部活用具だろうか、自転車のかごには無造作にラケットケースが突っ込んであった。
テニス部かな、そんなことを思いながら、
「あそこの中学の生徒さん?」
「そうです」
この町では見ない美人さんだなあと見とれながら少女は頷く。
「昔、ここに来た事があるの。もう15年も前かな」
「14年だろ」
少女はそれを聞いて少し表情を変えた。
「14年前っていうと、震災のときですか」
「そうね」
「じゃあ自衛隊の方ですか。それとも警察?」
「まあ、似たようなものです。今日、久しぶりに来たんで、懐かしくて」
男が答えた。
少女は自転車から下りた。ハンドルを握ったまままっすぐに立つ。
「私、震災の直後に生まれたんです。両親からいろんな人に助けられて産むことができたんだってずっと聞かされてきました」
「そうなの」
女と男が目を見交わす。少女は二人に「どうも有難うございました」とぺこりと頭を下げた。
「いや、別に君にお礼を言われることじゃ」
「そうよ」
「でも、有難う」
少女ははにかんで言った。
春の光の中、笑顔がまっすぐ二人に届く。
「……あなた、お名前は?」
何かのご縁かもしれないからと女が尋ねる。
「私ですか。桜って言います。震災の後、桜が満開のときに生まれたから」
安易ですよね。うちの両親と舌を出す。
「桜ちゃん」
「いい名前だ」
男と女が目を見交わして頷く。少女の雰囲気にぴったりだ。
愛情に裏打ちされた、朗らかさと育ちのよさが窺える。
「はい、自分でも割と気に入ってるんです」
少女は自転車のスタンドを立て、居住まいを正して訊いた。
「私もお名前聞いてもいいですか? 何かのご縁ですから」
「俺たちの?」
「いいですよ、もちろん。私たちはね、――」
女が微笑む。
満開の桜が三人の頭上で風を受けて揺れた。(了)
あとがきです。
まずは、このたびの震災の被害に遭われました方々に心よりお見舞い申し上げます。
重ねて復興のため、夜となく昼となく尽力されていらっしゃる方々に、心から敬意と感謝の気持ちを申し上げます。
早いもので、 震災からもう二ヶ月。
北国の地にも、春はめぐり日常が戻ってまいりました。
傷を抱えながらも前へ進み始めているという実感と、同時に、あの地震や津波のダメージ、それに苦しむ人々を「穢れ」のように扱い始めた風潮を感じずにはいられません。
風化することが一番怖いです。
怒りを声高に口にすることは簡単ですが、私は自分にできることを続けていくしかないのかなと思っています。非常に地道ですが、長いスパンで。
その気持ちひとつでこの話を書き上げました。
最終話に願いをこめて。明るい未来を信じて。
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やがて生み出せなかったものはひとつもない。
・・・そんなようなフレーズを、読んだことがあります。
それを、思い出しました。
いつか、この光景にたどりつけますように。
長編連載お疲れ様でした。
日曜日の地元の祭りで、『頑張ろう日本。負けないで東日本』の垂れ幕が曳山に掲げられました。
祭りで元気にって言う思いを込めての開会の言葉もありました。
こちらのお話、冊子になったら絶対買います。
ありがとうございました☆
>空豆さん
>まききょさん
ラストを決めて書き始めたわけではないのですが、
こういう終わりがいいかな、と自然と落ち着きました。話ってそれぞれの帰着点をもっているものですよね。
願いと祈り。手塚と柴崎の目線で伝わればいいと思います。そしてみなさま最後までお付き合いくださってありがとうございました。
でもいつかきっとそんな日がくる
そこまでの道のりはまだまだなにがあるかわからないけれど
でもきっとくる
そう信じて目を向けていたいと思います。
思い出の多い神戸が復興したように…
私、二度目なんですね、縁のあるところがめちゃくちゃになるのが。
だからこそ思います。
人はいつまでもどん底にとどまることができないって。
桜が美しく咲く日を信じて…
我がことのように辛さを噛み締めてらっしゃると思うのです。
でも日本のどこにいても今日見上げる空はきっと青空で。いつか被災地にも花が咲き、人々には笑顔が戻ると信じて、できることから私たちはやっていくしかないのでしょう。
願いは通じると思います。願う人の数だけ、早く。
なかなか復興が進まない状態で、懸念事項も多いですが、生きてるんだな、と報道を見る中で思います。
14年後(今から13年後)の自分、そして被災した人々、世界を想像しています。多くの犠牲を無駄にしない社会を私たちが作っていかなければならないのだ、と強く感じます。
初コメントありがとうございます。
一年を迎えても全然記憶は生のままで、びっくりするほどです。
なくなった方へ冥福を祈り、自分ができることを探し行動していこうと再度思った一年目でした。
この先も継続して思いをつないでいきたいです。
たくさんの疑問を抱えて帰ってきました。
その疑問の一つ一つを自分の中で消化し、活かせる人になってほしいなと思っています。
来年もまた行くんだ、と強い気持ちをもったようです。