【8】へ
「柴崎~、やっと会えたあ!」
郁が柴崎に抱きつく。熱烈歓迎だ。
「久しぶりー。元気? もうなんで連絡くれないのよー。水臭いったら。大丈夫? 疲れた?」
「ううん平気。ごめん急に来ちゃって」
「何言ってんのそんなのいいって。ささ、中入って。みんなにも顔見せてよ。びっくりするよー」
図書館で働いていた特殊部隊班も、柴崎の姿を見るなり顔を輝かせた。
「柴崎さん!」
「うわ。ここまで来てくれたんですかわざわざ」
安達、吉田など、無邪気に彼女の傍に集まってくる。他の隊員も「柴崎さん」「柴崎さんだ」と笑顔になる。
小牧も作業の手を止めて、「久しぶり」とヘルメットのつばに手を掛けた。
柴崎は目礼した。お仕事中お騒がせしてすみませんと詫びた。
小牧は軽く手を上げてまた仕事に戻った。
はしゃぐ郁たちと、ちょっとだけ申し訳なさそうな柴崎の様子を戸口で手塚が見守る。
彼にそっと堂上が近づいた。
「……連れてきたのか」
耳打ちする。
「あ、はい」
驚いて背筋を伸ばした。小柄な上官に隣に来られると未だに緊張する。条件反射のようなものだ。
しゃっちょこばらなくていいと言って、堂上は笑った。
「梃子摺っただろう。割と生真面目だからな、器用に立ち回るくせに」
「はあ。まあ」
でも。最初だけです。手塚は答えた。
へえという顔で彼を見上げる。言うもんだな、こいつも案外。
見直す思いで「でかした」と声を掛けると、手塚はちょっとだけ照れくさそうに目元を緩めた。
あの後、手塚も避難所でのボランティア活動に協力した。非番なのにだめよ、あんたは休みなさいと柴崎に言われたが、「今日何もすることがないんだ」と腕まくり。
男手が必要そうなところに声をかけて、あれこれ働いた。
柴崎は気がかりなのと、手塚が帰らないでくれるのは嬉しかったのとで複雑だった。
結局、夕方近くまで二人は別々の仕事に励み、声を交わすことはなかった。
一区切りつけて玄関先で落ち合うころには、すでに日は翳っていた。
「図書館に来いよ。みんなで一緒にメシ食おう」
誘っても、柴崎はいい返事を寄越さなかった。
「うん。でも」
「お前がこのまま帰ると笠原がしんどいぞ。少しでもいいから顔見せて行けよ」
柴崎は手塚の気遣いを感じた。
逆の立場で会わずじまいだったら、きっと自分も傷つくだろと言われているのだ。
ここまで来て、黙って帰るな。
柴崎は「うん」と頷き、従った。
避難所を出る際、子供たちが二人を見かけ、「あ、デートだ」「いいなー、ラブラブだ」とはやしたてた。
「こら、あんたたち」
大人をからかうんじゃないわよ。柴崎が赤くなって声を上げると、
「そうだよ。羨ましいか」
手塚が鷹揚に笑った。柴崎は目を丸くした。
子供たちが一様に狐につままれたような顔になる。
「お前たちも早く大人になって、きれいなお姉さんとデートできるようになるんだな」
手塚は暮れ始めた校門までの道を歩きながら彼らに手を上げた。
「な、なんでえ」
「むかつく。ばーか」
手塚の背中に口々に罵声にもならないものを浴びせるのは主に男の子。
あの年頃から、もう中身はちゃんと男なんだよなと自分に重ね合わせて懐かしく思う。
美しい大人の女性に憧れる気持ち。
「よく言うわ」
照れる柴崎が隣に並ぶ。今まできれいとか、面と向かって言われたことがなかった。こんな風にさらっと言うの、反則よ。
言われ慣れていると思っていたけれど、手塚が口にすると特別な言葉に聞こえた。
手塚は横顔を見ながら、
「もてもてだな」
とからかった。
柴崎の電撃訪問は、現場に士気と活気を与えた。
夕食の場も盛り上がり、自然と隊員同士の会話も弾んだ。
アルコールはなかったけれど、まるで歓迎会のようににぎやかになった。
堂上は、こちらに来てからの失敗談や体験談を口々に話して柴崎を驚かせたり笑わせたりする隊員たちを見て、やはり長丁場の逗留でこいつらも疲れていたんだなと実感した。
不平不満を口にする者は誰もいない。けれども長期間武蔵野を離れて任務に就くことで目に見えない澱のようなものが隊の中にうっすらと積もっていたのだ。
いつ終わるのか見通しのもてない仕事。それがもたらす不安と倦怠。
自分たちがやっていることは、自然の驚異の前では全く無為なのではないかという懐疑。
そういったものものが、じわじわと隊を疲弊させていた。
でも柴崎という「非日常」が束の間、それらを忘れさせてくれる。
当人の本意ではないにせよ。
郁との会話の合間に、堂上は柴崎の隣までいって「来てくれてありがとうな」と言った。
「こちらこそ、すみません。夕食までご馳走になって」
ずうずうしいですよね、と恐縮する柴崎に、堂上は首を横に振った。
「いや。そうじゃなく。……本当にありがとう」
「堂上教官にお礼を言われたわ」
あたし、何もしてないのに。
帰り道、柴崎がしきりと首を捻っていた。
「いきなり来てご飯も食べさせてもらって、そのうえ隊のお風呂とかもちゃっかりいただいて、こっちがお礼言うのが普通でしょ。何でだろう」
「さあ、なんでだろうな」
もうすっかり夜も更けた。避難所まで、手塚が送っていくことになった。
というか、郁に無理矢理、行けと小突かれた。
月に照らされた夜道を、二人は一定の間隔を開けて歩いていく。
必要以上にゆっくりと。そのことにお互い気がつかない振りをして。
「みんなに会えてよかった。……顔出してよかった」
足元に作り出される自分の影を見ながら、柴崎が囁いた。
「あんたの言うこと、珍しく聞いたおかげ」
笠原との間もギクシャクしないで済んだ。
嬉しさがにじみ出る柴崎を見るのは、手塚も嬉しい。
でもそう口に出すことはできずに、
「珍しく、は余計なんだよ」
茶化してしまう。
「俺の言うこと、お前はきかなすぎ。歯向かいすぎ」
「なにそれ。ひとを反抗期みたいに言わないでよ」
「反抗期。なるほど、それぴったりだな」
「あんたなんか万年反抗期のくせに。お兄さんに対しては!」
「な、なんでここで兄貴が出てくるんだよ」
「あー動揺してる~」
にんまりと、チェシャ猫のように柴崎の目がカーブする。
「動揺なんか」
「お兄さんと連絡取ってる? こっちに来てから」
「……」
「取ってないのね。相変わらず頑なねー」
ふーとあからさまなため息。
「お前に頑なとか言われたくない」
「じゃあ意固地ね。被災地で活動してるんだから、心配してないはずないのに。たまには電話とかしてあげればいいのに」
「……実家にだってしてないんだ。あのクソ兄貴になんかする暇はない」
「意地っ張り」
「なんとでも」
どうでもいい会話を繰り出し、じゃれながら行く。
現実から目を背けたくて。
時間を、少しでも遅く進めたくて。
柴崎を目的地に送り届ける。その時間が少しでも遅くなるといい。
必然、足取りはのろのろ、亀の歩みとなる。中学校が近づくに連れて。
柴崎も同じ想いなので、歩調は手塚と同じだけゆっくりとなり。
体育館の外観が夜目にも見えるころになると、二人は減らず口さえきかなくなっていた。
だんまり。沈黙が流れる。
「……」
「……」
もっと一緒にいたい。
このまま別れるのはいや。
声にならない声が聞こえる。
でも、言葉にするのは勇気が要る。切り出せない。
手塚は黙って月を見上げ、柴崎は彼の影ばかり見て歩く。
月が、高みから明るい光を放ってふたりを照らし出している。
舞台の上に立つ俳優にスポットライトを当てるみたいに。
観客は誰もいない。桜の木が、花びらを風に載せるばかり。
中学校まであと200メートルというところになって、先を行く手塚がとうとう歩を止めた。
柴崎もそれにつられて足を止める。
でも、何も言わない。彼の背を見つめていた。
手塚は後ろを振り返りもせず、言った。
「なあ。引き返さないか」
囁くような低い声。
風に浚われる。
「え」
柴崎が髪を手で押さえた。聞き違いかと思った。
「――図書館に戻ろう。今夜はあっちに泊まればいい」
「……でも」
柴崎は、中学校の体育館を見遣った。まだ明かりは灯っている。
「みんな隊から支給されたテントで寝泊りしてるじゃない。あたしの泊まる場所なんかないはずよ」
まさか笠原のところに世話になるわけにも行かない。独身時代ならいざ知らず、だんな様もいるのだ。
そう言おうとした柴崎を手塚が振り返った。
穏やかな瞳でまっすぐ見つめる。
「……俺のとこ」
柴崎は月の光に打たれたように動けなくなる。息を呑んだ。
手塚は言った。
「俺のテントに来ればいい。泊まっていけよ」
【10】
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「柴崎~、やっと会えたあ!」
郁が柴崎に抱きつく。熱烈歓迎だ。
「久しぶりー。元気? もうなんで連絡くれないのよー。水臭いったら。大丈夫? 疲れた?」
「ううん平気。ごめん急に来ちゃって」
「何言ってんのそんなのいいって。ささ、中入って。みんなにも顔見せてよ。びっくりするよー」
図書館で働いていた特殊部隊班も、柴崎の姿を見るなり顔を輝かせた。
「柴崎さん!」
「うわ。ここまで来てくれたんですかわざわざ」
安達、吉田など、無邪気に彼女の傍に集まってくる。他の隊員も「柴崎さん」「柴崎さんだ」と笑顔になる。
小牧も作業の手を止めて、「久しぶり」とヘルメットのつばに手を掛けた。
柴崎は目礼した。お仕事中お騒がせしてすみませんと詫びた。
小牧は軽く手を上げてまた仕事に戻った。
はしゃぐ郁たちと、ちょっとだけ申し訳なさそうな柴崎の様子を戸口で手塚が見守る。
彼にそっと堂上が近づいた。
「……連れてきたのか」
耳打ちする。
「あ、はい」
驚いて背筋を伸ばした。小柄な上官に隣に来られると未だに緊張する。条件反射のようなものだ。
しゃっちょこばらなくていいと言って、堂上は笑った。
「梃子摺っただろう。割と生真面目だからな、器用に立ち回るくせに」
「はあ。まあ」
でも。最初だけです。手塚は答えた。
へえという顔で彼を見上げる。言うもんだな、こいつも案外。
見直す思いで「でかした」と声を掛けると、手塚はちょっとだけ照れくさそうに目元を緩めた。
あの後、手塚も避難所でのボランティア活動に協力した。非番なのにだめよ、あんたは休みなさいと柴崎に言われたが、「今日何もすることがないんだ」と腕まくり。
男手が必要そうなところに声をかけて、あれこれ働いた。
柴崎は気がかりなのと、手塚が帰らないでくれるのは嬉しかったのとで複雑だった。
結局、夕方近くまで二人は別々の仕事に励み、声を交わすことはなかった。
一区切りつけて玄関先で落ち合うころには、すでに日は翳っていた。
「図書館に来いよ。みんなで一緒にメシ食おう」
誘っても、柴崎はいい返事を寄越さなかった。
「うん。でも」
「お前がこのまま帰ると笠原がしんどいぞ。少しでもいいから顔見せて行けよ」
柴崎は手塚の気遣いを感じた。
逆の立場で会わずじまいだったら、きっと自分も傷つくだろと言われているのだ。
ここまで来て、黙って帰るな。
柴崎は「うん」と頷き、従った。
避難所を出る際、子供たちが二人を見かけ、「あ、デートだ」「いいなー、ラブラブだ」とはやしたてた。
「こら、あんたたち」
大人をからかうんじゃないわよ。柴崎が赤くなって声を上げると、
「そうだよ。羨ましいか」
手塚が鷹揚に笑った。柴崎は目を丸くした。
子供たちが一様に狐につままれたような顔になる。
「お前たちも早く大人になって、きれいなお姉さんとデートできるようになるんだな」
手塚は暮れ始めた校門までの道を歩きながら彼らに手を上げた。
「な、なんでえ」
「むかつく。ばーか」
手塚の背中に口々に罵声にもならないものを浴びせるのは主に男の子。
あの年頃から、もう中身はちゃんと男なんだよなと自分に重ね合わせて懐かしく思う。
美しい大人の女性に憧れる気持ち。
「よく言うわ」
照れる柴崎が隣に並ぶ。今まできれいとか、面と向かって言われたことがなかった。こんな風にさらっと言うの、反則よ。
言われ慣れていると思っていたけれど、手塚が口にすると特別な言葉に聞こえた。
手塚は横顔を見ながら、
「もてもてだな」
とからかった。
柴崎の電撃訪問は、現場に士気と活気を与えた。
夕食の場も盛り上がり、自然と隊員同士の会話も弾んだ。
アルコールはなかったけれど、まるで歓迎会のようににぎやかになった。
堂上は、こちらに来てからの失敗談や体験談を口々に話して柴崎を驚かせたり笑わせたりする隊員たちを見て、やはり長丁場の逗留でこいつらも疲れていたんだなと実感した。
不平不満を口にする者は誰もいない。けれども長期間武蔵野を離れて任務に就くことで目に見えない澱のようなものが隊の中にうっすらと積もっていたのだ。
いつ終わるのか見通しのもてない仕事。それがもたらす不安と倦怠。
自分たちがやっていることは、自然の驚異の前では全く無為なのではないかという懐疑。
そういったものものが、じわじわと隊を疲弊させていた。
でも柴崎という「非日常」が束の間、それらを忘れさせてくれる。
当人の本意ではないにせよ。
郁との会話の合間に、堂上は柴崎の隣までいって「来てくれてありがとうな」と言った。
「こちらこそ、すみません。夕食までご馳走になって」
ずうずうしいですよね、と恐縮する柴崎に、堂上は首を横に振った。
「いや。そうじゃなく。……本当にありがとう」
「堂上教官にお礼を言われたわ」
あたし、何もしてないのに。
帰り道、柴崎がしきりと首を捻っていた。
「いきなり来てご飯も食べさせてもらって、そのうえ隊のお風呂とかもちゃっかりいただいて、こっちがお礼言うのが普通でしょ。何でだろう」
「さあ、なんでだろうな」
もうすっかり夜も更けた。避難所まで、手塚が送っていくことになった。
というか、郁に無理矢理、行けと小突かれた。
月に照らされた夜道を、二人は一定の間隔を開けて歩いていく。
必要以上にゆっくりと。そのことにお互い気がつかない振りをして。
「みんなに会えてよかった。……顔出してよかった」
足元に作り出される自分の影を見ながら、柴崎が囁いた。
「あんたの言うこと、珍しく聞いたおかげ」
笠原との間もギクシャクしないで済んだ。
嬉しさがにじみ出る柴崎を見るのは、手塚も嬉しい。
でもそう口に出すことはできずに、
「珍しく、は余計なんだよ」
茶化してしまう。
「俺の言うこと、お前はきかなすぎ。歯向かいすぎ」
「なにそれ。ひとを反抗期みたいに言わないでよ」
「反抗期。なるほど、それぴったりだな」
「あんたなんか万年反抗期のくせに。お兄さんに対しては!」
「な、なんでここで兄貴が出てくるんだよ」
「あー動揺してる~」
にんまりと、チェシャ猫のように柴崎の目がカーブする。
「動揺なんか」
「お兄さんと連絡取ってる? こっちに来てから」
「……」
「取ってないのね。相変わらず頑なねー」
ふーとあからさまなため息。
「お前に頑なとか言われたくない」
「じゃあ意固地ね。被災地で活動してるんだから、心配してないはずないのに。たまには電話とかしてあげればいいのに」
「……実家にだってしてないんだ。あのクソ兄貴になんかする暇はない」
「意地っ張り」
「なんとでも」
どうでもいい会話を繰り出し、じゃれながら行く。
現実から目を背けたくて。
時間を、少しでも遅く進めたくて。
柴崎を目的地に送り届ける。その時間が少しでも遅くなるといい。
必然、足取りはのろのろ、亀の歩みとなる。中学校が近づくに連れて。
柴崎も同じ想いなので、歩調は手塚と同じだけゆっくりとなり。
体育館の外観が夜目にも見えるころになると、二人は減らず口さえきかなくなっていた。
だんまり。沈黙が流れる。
「……」
「……」
もっと一緒にいたい。
このまま別れるのはいや。
声にならない声が聞こえる。
でも、言葉にするのは勇気が要る。切り出せない。
手塚は黙って月を見上げ、柴崎は彼の影ばかり見て歩く。
月が、高みから明るい光を放ってふたりを照らし出している。
舞台の上に立つ俳優にスポットライトを当てるみたいに。
観客は誰もいない。桜の木が、花びらを風に載せるばかり。
中学校まであと200メートルというところになって、先を行く手塚がとうとう歩を止めた。
柴崎もそれにつられて足を止める。
でも、何も言わない。彼の背を見つめていた。
手塚は後ろを振り返りもせず、言った。
「なあ。引き返さないか」
囁くような低い声。
風に浚われる。
「え」
柴崎が髪を手で押さえた。聞き違いかと思った。
「――図書館に戻ろう。今夜はあっちに泊まればいい」
「……でも」
柴崎は、中学校の体育館を見遣った。まだ明かりは灯っている。
「みんな隊から支給されたテントで寝泊りしてるじゃない。あたしの泊まる場所なんかないはずよ」
まさか笠原のところに世話になるわけにも行かない。独身時代ならいざ知らず、だんな様もいるのだ。
そう言おうとした柴崎を手塚が振り返った。
穏やかな瞳でまっすぐ見つめる。
「……俺のとこ」
柴崎は月の光に打たれたように動けなくなる。息を呑んだ。
手塚は言った。
「俺のテントに来ればいい。泊まっていけよ」
【10】
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頑張れ手塚ww
もっと頑張るんだ、手塚!
手塚も柴崎も頑張ってますよ。
温かく見守ってくださいね~