【11】へ
手塚の指の先が、柴崎の歯にほんの少しだけ触れる。
「……っ」
柴崎は思わず目を閉じた。
この暗さ。表情まではっきりと見られることはない。そう分かっていても、あまりにも手塚の顔が近すぎる。
どうしよう。このまま触れられたら、あたし、
声が……出ちゃう。きっと。押さえきれない。
誤魔化しようがない、あの声が出てしまうわ。
柴崎の頬をその手で包みながら、手塚は彼女の唇をさらに探っていく。
「ずっと訊こうと思ってた。……お前さ、なんでこっちに来たんだ?」
言って、手塚は柴崎の洗い立ての髪に鼻先をくっつけた。
「人一倍仕事熱心なお前が、有給取ってまで。
ボランティアのためだけか。うちの隊を陣中見舞いするためか。
――そうじゃないって、思ってもいいのか」
俺のはがき、届いたんだろう。
手塚の潜めた声を聞き、柴崎は観念する。
ああ。もう見抜かれてる。
この男には何もかも。
あたしがこっちに来た理由。その大元のところ。
あたしを何が突き動かすのか、ちゃんと分かってる。
手塚。
会いたかったの。会いにきたのよ、あんたに。
離れてて寂しくて辛くてやりきれなくて、もうどうしようもなかったの。
これ以上会えないの、我慢ができなかった。
だから寮を飛び出してきたの。はがきが着いたのを体のいい理由にして。
ボランティアとかお見舞いとかそんな高尚な目的のためじゃない。あたしはもっと下世話な、ただの女なの。
軽蔑する? それともそんなあたしでも受け入れてくれる?
あんたが好き。
あたしを指一本で解いてしまう。こんな身も心も蕩けるキスをくれる男はあんたしかいない。
あんたが好きよ。
告げたい。声にしたい。けれど、
胸が苦しい――。泣いて、しまいそう。
「……う」
はからずも、柴崎の歯の間から吐息まじりの声が漏れる。
それは誰が聞いてももう完全に手塚の指使いに感応する声で。
手塚は黒髪をかいくぐり、柴崎の耳たぶをそっと唇に含んだ。
びく。身じろぎもできずにいた柴崎が、かすかに反応するのを寝袋越しに手塚は捕らえる。
「会いたかった。……来てくれて、嬉しかった」
手塚は、指先と同じだけその声を柴崎の耳に落とし込む。
ほの暗い響きに脳髄がやられ、ぼうっとなる。
「て、手塚」
あたしも。
そう言おうとするも、手塚の指が柴崎の歯をくぐって中に忍び込もうと仕掛ける。
あ。やだ……。
なんて、いやらしい。
舌まで。
たまらず顔を背け彼の手から逃れようとする。
けれども手塚がそれを許すはずもなく、更に深追い。
完璧、柴崎は追い詰められた。
こんなキスじゃなかった。子供の頃、あたしが見た桜の下の男女のラブシーンは。
もっとさらりとしていて。はかなくて。
こんな、絡みつくような指使いは、あの男の人は決してしてない。
――もう、無理。
限界。我慢、できない。
彼の唇に捕まった耳たぶが熱い。ぞくぞくっと、首筋に後から後からさざなみが生まれ柴崎を苛む。
もう逃げられない。
柴崎は身体から力を抜き、大きな流れに身をゆだねようとした。
これ以上理性を保っていられない。手塚にすべて預けてしまいたい。
短く息を吸った、そのとき。
手塚が言った。
「お前、……あれから誰かと、したのか」
柴崎のあたたかい唾液が自分の指にこなれていくのを感じながら。
「俺とした後。他の男と、キス」
三度の口づけ。あのときのことを言っているのだと柴崎はすぐに悟る。
あれからお前の唇に触れた男はいたか。
こうやってお前を腕に抱いて、お前の唇をほしいままにしたやつはいたんだろうか。
俺の知らないところで。
そして手塚は身を起こし、柴崎の顔の真上にきた。
本格的に彼女の唇を奪おうと屈む。
「――」
柴崎は目を開く。
そして加減なくがぶりと歯を立てた。
挿し入れられた、手塚の指に。
「てっ!」
反射で手塚が腕を引く。柴崎が寝袋のファスナーを胸元まで下げて、肩で大きく息をした。
夜の冷えた空気を一気に吸い込む。
「なにすんだ急に。痛いだろ!」
手塚は声を最小限に絞って抗議。それにかぶせるようにえらい剣幕で柴崎が怒鳴る(声を絞って)。
「手塚のばかっ!なんてこと訊くの。最低!」
全身で怒りをぶつけた。
「なんでそんなこと言うのよ。あたしが他の男と、ですって?
馬鹿にしないでよ」
するわけないじゃない。そんなひどいこと、よく訊けたわね。
こ、こんな状況で。
柴崎の頭に完全に血が昇りきっている。血相を変えた彼女を前に、じんじんと痛む指を無意識に押さえて手塚が慌てた。
「ば、馬鹿になんかしてない。俺はただ」
訊いてみたかっただけで。だってお前、露骨にもてるし。
心配なんだよ。長く離れていたから。
言い訳にもならないぐだぐだを口の中で転がす。
柴崎は憤怒に眉を吊り上げ、もう一度手塚の右手を引き寄せてかぶりついた。
「!」
ぎり、と痛みが走る。柴崎は本気で噛んだ。でも、手塚は手を引かなかった。
されるがままになった。
「あんましあたしを馬鹿にしないで。今度そんなこと言ったらただじゃおかないから」
物騒な物言いだったが既に涙声で。
手塚はかける言葉を失う。泣かせた、という事実に打ちのめされる。
気丈な柴崎を。絶対にひとに涙を見せまいとする、プライドの高いこいつを。
そして何より健気にこんな北の国まで会いに来てくれた、いちばん好きな女を、俺は。
傷つけた。たった一言で。
しくじった。痛恨のきわみ。だが、もう後悔しても遅い。
「もう寝る。おやすみ」
そのまま柴崎はごろんと不貞寝する。もちろん手塚に背中を向けて。
手塚は躊躇いがちに声をかけた。指がぎりぎりと痛む。
「柴崎、ごめん」
「もう寝た! 何言っても聞こえないから」
けんもほろろ。
すん、と洟をすすりながらなのがいじらしい。
ごめんと繰り返して背中から肩を抱こうと手を伸ばす。が、また強い拒絶にあったらと思うと触れることができない。
しようがなく、一つ覚えのように繰り返す。
「ごめんな。柴崎」
俺が悪かった。デリカシーがなかった。
すまない。もうあんなこと、絶対口にしないから許してくれ。
手塚は頑なに背中を向け寝たふりを決め込む柴崎に向かって言った。
「寝たって言ってるでしょ」
少しボルテージが下がった声。
手塚は寝袋から出た柴崎の肩に、毛布をかけてやる。彼女もそれを払いのけることはさすがにしなかった。
噛まれた指は痛むし、鬼のように怒らせたし、手塚としてはなんともとほほな展開だったが。それでもなんだか彼は嬉しかった。
横を向く柴崎の寝姿を見つめ、思う。
こんなに怒るということは、質問に対する答えは明らかだからだ。
キスなんかしてない。あんたとしかしてない。
そんな柴崎の必死の叫びが聞こえる。
だから手塚は幸せだった。今夜、いい雰囲気になったのに気分を損ねたのはもったいないと正直思う。何やってんだよ俺と自分に呆れる。
でも、まあ。いいか。
ふと見ると指に血がにじんでいる。手加減なしで噛まれた。
それくらい怒ったのだ。俺の馬鹿な問いに柴崎は。そう思うと、その痛みさえも愛しく思う。
手塚は笑った。
「重症だな俺」
聞こえたくせに、柴崎は無視を決め込んだ。頑固な背中に向かって、
「ごめんな。好きだよ」
そう言ったときだけ、ほんの少し、ぴくっと肩が反応したのがおかしくて手塚は口許を緩めた。
【13】>
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手塚の指の先が、柴崎の歯にほんの少しだけ触れる。
「……っ」
柴崎は思わず目を閉じた。
この暗さ。表情まではっきりと見られることはない。そう分かっていても、あまりにも手塚の顔が近すぎる。
どうしよう。このまま触れられたら、あたし、
声が……出ちゃう。きっと。押さえきれない。
誤魔化しようがない、あの声が出てしまうわ。
柴崎の頬をその手で包みながら、手塚は彼女の唇をさらに探っていく。
「ずっと訊こうと思ってた。……お前さ、なんでこっちに来たんだ?」
言って、手塚は柴崎の洗い立ての髪に鼻先をくっつけた。
「人一倍仕事熱心なお前が、有給取ってまで。
ボランティアのためだけか。うちの隊を陣中見舞いするためか。
――そうじゃないって、思ってもいいのか」
俺のはがき、届いたんだろう。
手塚の潜めた声を聞き、柴崎は観念する。
ああ。もう見抜かれてる。
この男には何もかも。
あたしがこっちに来た理由。その大元のところ。
あたしを何が突き動かすのか、ちゃんと分かってる。
手塚。
会いたかったの。会いにきたのよ、あんたに。
離れてて寂しくて辛くてやりきれなくて、もうどうしようもなかったの。
これ以上会えないの、我慢ができなかった。
だから寮を飛び出してきたの。はがきが着いたのを体のいい理由にして。
ボランティアとかお見舞いとかそんな高尚な目的のためじゃない。あたしはもっと下世話な、ただの女なの。
軽蔑する? それともそんなあたしでも受け入れてくれる?
あんたが好き。
あたしを指一本で解いてしまう。こんな身も心も蕩けるキスをくれる男はあんたしかいない。
あんたが好きよ。
告げたい。声にしたい。けれど、
胸が苦しい――。泣いて、しまいそう。
「……う」
はからずも、柴崎の歯の間から吐息まじりの声が漏れる。
それは誰が聞いてももう完全に手塚の指使いに感応する声で。
手塚は黒髪をかいくぐり、柴崎の耳たぶをそっと唇に含んだ。
びく。身じろぎもできずにいた柴崎が、かすかに反応するのを寝袋越しに手塚は捕らえる。
「会いたかった。……来てくれて、嬉しかった」
手塚は、指先と同じだけその声を柴崎の耳に落とし込む。
ほの暗い響きに脳髄がやられ、ぼうっとなる。
「て、手塚」
あたしも。
そう言おうとするも、手塚の指が柴崎の歯をくぐって中に忍び込もうと仕掛ける。
あ。やだ……。
なんて、いやらしい。
舌まで。
たまらず顔を背け彼の手から逃れようとする。
けれども手塚がそれを許すはずもなく、更に深追い。
完璧、柴崎は追い詰められた。
こんなキスじゃなかった。子供の頃、あたしが見た桜の下の男女のラブシーンは。
もっとさらりとしていて。はかなくて。
こんな、絡みつくような指使いは、あの男の人は決してしてない。
――もう、無理。
限界。我慢、できない。
彼の唇に捕まった耳たぶが熱い。ぞくぞくっと、首筋に後から後からさざなみが生まれ柴崎を苛む。
もう逃げられない。
柴崎は身体から力を抜き、大きな流れに身をゆだねようとした。
これ以上理性を保っていられない。手塚にすべて預けてしまいたい。
短く息を吸った、そのとき。
手塚が言った。
「お前、……あれから誰かと、したのか」
柴崎のあたたかい唾液が自分の指にこなれていくのを感じながら。
「俺とした後。他の男と、キス」
三度の口づけ。あのときのことを言っているのだと柴崎はすぐに悟る。
あれからお前の唇に触れた男はいたか。
こうやってお前を腕に抱いて、お前の唇をほしいままにしたやつはいたんだろうか。
俺の知らないところで。
そして手塚は身を起こし、柴崎の顔の真上にきた。
本格的に彼女の唇を奪おうと屈む。
「――」
柴崎は目を開く。
そして加減なくがぶりと歯を立てた。
挿し入れられた、手塚の指に。
「てっ!」
反射で手塚が腕を引く。柴崎が寝袋のファスナーを胸元まで下げて、肩で大きく息をした。
夜の冷えた空気を一気に吸い込む。
「なにすんだ急に。痛いだろ!」
手塚は声を最小限に絞って抗議。それにかぶせるようにえらい剣幕で柴崎が怒鳴る(声を絞って)。
「手塚のばかっ!なんてこと訊くの。最低!」
全身で怒りをぶつけた。
「なんでそんなこと言うのよ。あたしが他の男と、ですって?
馬鹿にしないでよ」
するわけないじゃない。そんなひどいこと、よく訊けたわね。
こ、こんな状況で。
柴崎の頭に完全に血が昇りきっている。血相を変えた彼女を前に、じんじんと痛む指を無意識に押さえて手塚が慌てた。
「ば、馬鹿になんかしてない。俺はただ」
訊いてみたかっただけで。だってお前、露骨にもてるし。
心配なんだよ。長く離れていたから。
言い訳にもならないぐだぐだを口の中で転がす。
柴崎は憤怒に眉を吊り上げ、もう一度手塚の右手を引き寄せてかぶりついた。
「!」
ぎり、と痛みが走る。柴崎は本気で噛んだ。でも、手塚は手を引かなかった。
されるがままになった。
「あんましあたしを馬鹿にしないで。今度そんなこと言ったらただじゃおかないから」
物騒な物言いだったが既に涙声で。
手塚はかける言葉を失う。泣かせた、という事実に打ちのめされる。
気丈な柴崎を。絶対にひとに涙を見せまいとする、プライドの高いこいつを。
そして何より健気にこんな北の国まで会いに来てくれた、いちばん好きな女を、俺は。
傷つけた。たった一言で。
しくじった。痛恨のきわみ。だが、もう後悔しても遅い。
「もう寝る。おやすみ」
そのまま柴崎はごろんと不貞寝する。もちろん手塚に背中を向けて。
手塚は躊躇いがちに声をかけた。指がぎりぎりと痛む。
「柴崎、ごめん」
「もう寝た! 何言っても聞こえないから」
けんもほろろ。
すん、と洟をすすりながらなのがいじらしい。
ごめんと繰り返して背中から肩を抱こうと手を伸ばす。が、また強い拒絶にあったらと思うと触れることができない。
しようがなく、一つ覚えのように繰り返す。
「ごめんな。柴崎」
俺が悪かった。デリカシーがなかった。
すまない。もうあんなこと、絶対口にしないから許してくれ。
手塚は頑なに背中を向け寝たふりを決め込む柴崎に向かって言った。
「寝たって言ってるでしょ」
少しボルテージが下がった声。
手塚は寝袋から出た柴崎の肩に、毛布をかけてやる。彼女もそれを払いのけることはさすがにしなかった。
噛まれた指は痛むし、鬼のように怒らせたし、手塚としてはなんともとほほな展開だったが。それでもなんだか彼は嬉しかった。
横を向く柴崎の寝姿を見つめ、思う。
こんなに怒るということは、質問に対する答えは明らかだからだ。
キスなんかしてない。あんたとしかしてない。
そんな柴崎の必死の叫びが聞こえる。
だから手塚は幸せだった。今夜、いい雰囲気になったのに気分を損ねたのはもったいないと正直思う。何やってんだよ俺と自分に呆れる。
でも、まあ。いいか。
ふと見ると指に血がにじんでいる。手加減なしで噛まれた。
それくらい怒ったのだ。俺の馬鹿な問いに柴崎は。そう思うと、その痛みさえも愛しく思う。
手塚は笑った。
「重症だな俺」
聞こえたくせに、柴崎は無視を決め込んだ。頑固な背中に向かって、
「ごめんな。好きだよ」
そう言ったときだけ、ほんの少し、ぴくっと肩が反応したのがおかしくて手塚は口許を緩めた。
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ナイス手塚!って思ってたのに…
うぉ~~い、手塚、それはないだろう??
なんか、手塚の手塚らしさに泣けました…
怒り狂って毛を逆立ててカプッ!!
・・・という図が浮かんでしまいました^^;
手塚、その傷大事にするんだよ・・・・・・
いやいや、これぞ出来上がる直前のカップルの醍醐味ですよ!w
最高です(笑)
でも個人的にはこの回の手塚がエロく書けたので満足ですv