【5】へ
長引く避難所での暮らしは子供たちにもストレスを与えていた。
おもちゃなどを巡って小競り合いが絶えない。うるさいと他の被災者に言われ、母親たちが「外に行ってなさい」と叫ぶ。外に出ると「余震が危ないから中にいなさい」と復旧作業に当たっている大人たちにたしなめられる。
行き場がない。くすぶる。
晴れない顔をしている子供たちを見かねて、柴崎が声を掛けた。
与えられた仕事は片付いている。休憩時間のことだった。
「ボクたちおいで、お姉ちゃんが本読んであげる」
避難所に充てられている中学校の図書室は三階にあったので、津波の被害からは免れた。
柴崎はそこから適当な絵本をいくつか拝借し、体育館の片隅に子供たちを呼び寄せた。
普段、読み聞かせをしている要領で本のページをめくっていると。さっきまで生気のなかった子供たちの顔に表情が差し込んでくるのが分かった。
食い入るように柴崎の手元の本を凝視している。話に引き込まれ、微動だにしない。
柴崎の本領発揮といったところだ。
その様子を見ていた人々が、
「ほんに上手だっきゃの。やっぱどっかの女優でねえの」
感心したように口々に漏らす。
登場人物ごとに声色をかえ、老人から幼子まで演じ分ける。
聞く者はそれがとても一人の口から出された声だとは信じられない。
柴崎の十八番だ。
いつしか子供だけでなく大人まで柴崎の傍に集まって、その話に耳を傾け始めた。
嬉しい。
あたしのやっていることが、受け入れられてる。
避難している人たちが立ち止まって、集まって読み聞かせを聞いてくれる。
普段、図書館でルーティンのようにこなしていた仕事だった。業務の一環のようになっていた。それが、こんなに嬉しいなんて。柴崎は当惑した。
あたし、忘れかけてた。
ちょっと話し方が上達してみんなに達者だと褒められるようになって、その気になってたんだ。
新米の頃、初めて子供たちの前に立った、緊張とか興奮を忘れていた。
それを今思い起こさせられた。こうして、避難所で本をめくって。
自分の話を誰かに聞いてもらえる歓び。
ストーリーに一喜一憂して、次は、次は、と展開を期待したまなざしを向けられること。
時間を共有できるんだ。一冊の本を通じて。あたしたちは。
こんな幸せな時間ってないわ。柴崎は本を持つ手がぶれないように自分を励まして、先を続けた。
読み終わったときは拍手喝采。歓声がその一角で上がった。
「すげえ。おねーちゃん、すっげ上手だ」
「ほんとだ。もっと、もっと読んで。違うの読んでよ」
興奮に頬を染めて、子供たちがわああっと柴崎に群がる。
それをほほえましく見守りつつ、中年の女性が声を掛ける。
「大人が聞いででも惚れ惚れしたー。なんで、あんたそったらに上手いのせ」
「そんな」
と謙遜した柴崎の耳に、
「プロだからですよ」
男の声が届く。
柴崎は硬直する。
自分の耳を疑った。背筋が凍ったように身体が動かない。
群がる子供たちに視界をふさがれ、前もろくに。
でも。
今の、声は……
「プロ? んだの。やっぱどっかのタレントさんだの?」
女性が背後に立つ長身の男を仰ぐ。
男は苦笑した。
「そうじゃないですよ。でもプロなんです」
な。そう頷きかける、懐かしいしぐさ。
頭ひとつ飛び出た身長。迷彩服ではなく、私服をなぜか今日は身に着けている。
手塚。
そこで二人の目が初めて合う。
人垣の向こうで自分を見つめている手塚を認め、柴崎はプチ・パニックに陥る。
「! や、な、なんでっ」
抜けるように白い頬に朱が射す。
ぽおっと頬が火照るのが分かり、とっさに口元を手の甲で押さえた。
「なんであんたがここにいるのよ、っ!」
心の準備ができていない。まったくの不意打ち。
敵地で寝首を掻かれたような気分だった。不覚!
手塚なんと答えたらいいか、一瞬迷うような表情を見せてから、
「……すまん。って言ったほうがいいのか? この場合」
と首を傾げた。
「ばかっ!」
言い捨てて柴崎は脱兎のごとくそこから逃げ出した。
「あ。ねえちゃん」
子供たちも大人たちも呆気に取られている。でもなりふり構ってなどいられなかった。
いたたまれなかった。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。舌を噛み切って死んでしまいたい。
いったいいつから、あいつ、ここに?
あ、あたしが読み聞かせするの、全部見てたのだろうか。
最初から最後まで?
~~~不覚! こ、こんなイモジャーにすっぴんで髪なんかオバサンみたいに背中でひとつに括ってるだけのひどい格好を見られた。
もう、もうやだ。
悔しさのあまり涙が出てくる。ばらしたわね。一生恨みますよ、堂上教官!と逆切れをしても後の祭り。
いくら逃げても手塚の足には追いつかれてしまう。
体育館から出た廊下で手を掴まれた。
「柴崎、待てよ」
「や……離して」
身をよじる。掴まれた手首が熱い。
顔を見られたくない。手塚の視線から逃れる。
加減されて掴まれてるのが分かってさらに身体が熱くなる。
「こら、暴れるなって」
手塚は弱り果てた。でも手を離すつもりはなかった。
久々の非番の日、郁に呼びつけられ、目下の勤務地に出向くと、でん、と段ボール箱を手渡された。
「なんだこれは」
「お届けものよ。ちょっと避難所までお使いに行って来て頂戴」
手塚は鼻の付け根にしわを寄せた。あからさまに不満を表す。
「何で俺が。中身はなんだよ」
「書籍よ。クリーニング終わったから、向こうの人に愉しんでもらって」
出張図書館よとなぜか鼻息が荒い。
「こんなことしていいんですか。館外持ち出しになるんじゃ、。一正」
手塚が堂上を仰ぐ。
堂上はしかつめらしい顔であーうん、そうなんだがと煮え切らない。
不審に思っていると、郁が畳み掛けた。
「細かいことは気にしない。ニーズがあるんだから、こちらはそれにできる限り応えなきゃ。さ、さっさと行く」
「何でお前が命令すんだよ。てか、なんで俺なんだって」
他のヤツにやらせろよ。手塚の弁はもっともだった。
そこをとりなしたのは堂上だった。
「今日の予定が手一杯でな。お前にしか頼めんのだ。やってくれんか」
つうかあんたが行かなきゃ意味ないのよ。内心プッシュプッシュで郁が握りこぶし。
あー早く行けっつーの。御託並べてないで。
あたしや篤さんの親心?なんだってば。このミッションは。
言いたくてうずうずする。でも言ったらサプライズにならない。ここは我慢の郁。
郁はともかく堂上に頭を下げられると弱い手塚は、「わかりました」とぶすっと言ってダンボールを抱えて図書館を後にした。
あとには彼を見送る堂上夫妻の姿が残った。生温かい目で、「しっかり。手塚」と彼の背中を見守ったのだった。
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長引く避難所での暮らしは子供たちにもストレスを与えていた。
おもちゃなどを巡って小競り合いが絶えない。うるさいと他の被災者に言われ、母親たちが「外に行ってなさい」と叫ぶ。外に出ると「余震が危ないから中にいなさい」と復旧作業に当たっている大人たちにたしなめられる。
行き場がない。くすぶる。
晴れない顔をしている子供たちを見かねて、柴崎が声を掛けた。
与えられた仕事は片付いている。休憩時間のことだった。
「ボクたちおいで、お姉ちゃんが本読んであげる」
避難所に充てられている中学校の図書室は三階にあったので、津波の被害からは免れた。
柴崎はそこから適当な絵本をいくつか拝借し、体育館の片隅に子供たちを呼び寄せた。
普段、読み聞かせをしている要領で本のページをめくっていると。さっきまで生気のなかった子供たちの顔に表情が差し込んでくるのが分かった。
食い入るように柴崎の手元の本を凝視している。話に引き込まれ、微動だにしない。
柴崎の本領発揮といったところだ。
その様子を見ていた人々が、
「ほんに上手だっきゃの。やっぱどっかの女優でねえの」
感心したように口々に漏らす。
登場人物ごとに声色をかえ、老人から幼子まで演じ分ける。
聞く者はそれがとても一人の口から出された声だとは信じられない。
柴崎の十八番だ。
いつしか子供だけでなく大人まで柴崎の傍に集まって、その話に耳を傾け始めた。
嬉しい。
あたしのやっていることが、受け入れられてる。
避難している人たちが立ち止まって、集まって読み聞かせを聞いてくれる。
普段、図書館でルーティンのようにこなしていた仕事だった。業務の一環のようになっていた。それが、こんなに嬉しいなんて。柴崎は当惑した。
あたし、忘れかけてた。
ちょっと話し方が上達してみんなに達者だと褒められるようになって、その気になってたんだ。
新米の頃、初めて子供たちの前に立った、緊張とか興奮を忘れていた。
それを今思い起こさせられた。こうして、避難所で本をめくって。
自分の話を誰かに聞いてもらえる歓び。
ストーリーに一喜一憂して、次は、次は、と展開を期待したまなざしを向けられること。
時間を共有できるんだ。一冊の本を通じて。あたしたちは。
こんな幸せな時間ってないわ。柴崎は本を持つ手がぶれないように自分を励まして、先を続けた。
読み終わったときは拍手喝采。歓声がその一角で上がった。
「すげえ。おねーちゃん、すっげ上手だ」
「ほんとだ。もっと、もっと読んで。違うの読んでよ」
興奮に頬を染めて、子供たちがわああっと柴崎に群がる。
それをほほえましく見守りつつ、中年の女性が声を掛ける。
「大人が聞いででも惚れ惚れしたー。なんで、あんたそったらに上手いのせ」
「そんな」
と謙遜した柴崎の耳に、
「プロだからですよ」
男の声が届く。
柴崎は硬直する。
自分の耳を疑った。背筋が凍ったように身体が動かない。
群がる子供たちに視界をふさがれ、前もろくに。
でも。
今の、声は……
「プロ? んだの。やっぱどっかのタレントさんだの?」
女性が背後に立つ長身の男を仰ぐ。
男は苦笑した。
「そうじゃないですよ。でもプロなんです」
な。そう頷きかける、懐かしいしぐさ。
頭ひとつ飛び出た身長。迷彩服ではなく、私服をなぜか今日は身に着けている。
手塚。
そこで二人の目が初めて合う。
人垣の向こうで自分を見つめている手塚を認め、柴崎はプチ・パニックに陥る。
「! や、な、なんでっ」
抜けるように白い頬に朱が射す。
ぽおっと頬が火照るのが分かり、とっさに口元を手の甲で押さえた。
「なんであんたがここにいるのよ、っ!」
心の準備ができていない。まったくの不意打ち。
敵地で寝首を掻かれたような気分だった。不覚!
手塚なんと答えたらいいか、一瞬迷うような表情を見せてから、
「……すまん。って言ったほうがいいのか? この場合」
と首を傾げた。
「ばかっ!」
言い捨てて柴崎は脱兎のごとくそこから逃げ出した。
「あ。ねえちゃん」
子供たちも大人たちも呆気に取られている。でもなりふり構ってなどいられなかった。
いたたまれなかった。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。舌を噛み切って死んでしまいたい。
いったいいつから、あいつ、ここに?
あ、あたしが読み聞かせするの、全部見てたのだろうか。
最初から最後まで?
~~~不覚! こ、こんなイモジャーにすっぴんで髪なんかオバサンみたいに背中でひとつに括ってるだけのひどい格好を見られた。
もう、もうやだ。
悔しさのあまり涙が出てくる。ばらしたわね。一生恨みますよ、堂上教官!と逆切れをしても後の祭り。
いくら逃げても手塚の足には追いつかれてしまう。
体育館から出た廊下で手を掴まれた。
「柴崎、待てよ」
「や……離して」
身をよじる。掴まれた手首が熱い。
顔を見られたくない。手塚の視線から逃れる。
加減されて掴まれてるのが分かってさらに身体が熱くなる。
「こら、暴れるなって」
手塚は弱り果てた。でも手を離すつもりはなかった。
久々の非番の日、郁に呼びつけられ、目下の勤務地に出向くと、でん、と段ボール箱を手渡された。
「なんだこれは」
「お届けものよ。ちょっと避難所までお使いに行って来て頂戴」
手塚は鼻の付け根にしわを寄せた。あからさまに不満を表す。
「何で俺が。中身はなんだよ」
「書籍よ。クリーニング終わったから、向こうの人に愉しんでもらって」
出張図書館よとなぜか鼻息が荒い。
「こんなことしていいんですか。館外持ち出しになるんじゃ、。一正」
手塚が堂上を仰ぐ。
堂上はしかつめらしい顔であーうん、そうなんだがと煮え切らない。
不審に思っていると、郁が畳み掛けた。
「細かいことは気にしない。ニーズがあるんだから、こちらはそれにできる限り応えなきゃ。さ、さっさと行く」
「何でお前が命令すんだよ。てか、なんで俺なんだって」
他のヤツにやらせろよ。手塚の弁はもっともだった。
そこをとりなしたのは堂上だった。
「今日の予定が手一杯でな。お前にしか頼めんのだ。やってくれんか」
つうかあんたが行かなきゃ意味ないのよ。内心プッシュプッシュで郁が握りこぶし。
あー早く行けっつーの。御託並べてないで。
あたしや篤さんの親心?なんだってば。このミッションは。
言いたくてうずうずする。でも言ったらサプライズにならない。ここは我慢の郁。
郁はともかく堂上に頭を下げられると弱い手塚は、「わかりました」とぶすっと言ってダンボールを抱えて図書館を後にした。
あとには彼を見送る堂上夫妻の姿が残った。生温かい目で、「しっかり。手塚」と彼の背中を見守ったのだった。
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続き楽しみにしてます(^w^)
不器用な二人、どうすることやらと
楽しみにしてます
もう少し焦らそうかなっとも思ったんですが、
あまり会わせないのも可哀相 という親心(?)で。。。エヘ(何がエヘだ)
しかし、柴崎の可愛さぶりは書いていて指が震えるほどですわ… なんて可愛いのだ(手前味噌と笑って許してください)