図書館のカウンターのところで、柴崎が女性とやりとりをしていた。
柴崎に所要があって抜けてきた手塚だったが、少し距離を置いて先客が終わるのを待つ。
ややあって、カウンターの女性がきびすを返して出口に向かってきた。
うつむき加減で。
「――どうかしたのか」
手塚が声をかけると、柴崎は振り向き、笑みを見せた。
「あら。そっちこそどうしたの、訓練中でしょ?」
「急ぎで届け物があって。これを館長にな」
厚ぼったいA4版の封筒の角を、手塚は肩でとん、と鳴らす。
「それよりなんだ、今の。何かトラブルか」
「え、……見てたの」
「見てたっていうか、お前を待ってたら目に入った」
泣いていた。――気がする。
小走りに逃げるように出て行った女性。
20代前半ぐらいか。女子大生のような、まだあどけなさの残る風貌。
「トラブルってほどじゃないんだけどねー」
と、柴崎は眉一つ動かさずに、女性の消えたドアを見やる。
「なんだか付き合って欲しいって言うから。断っただけ」
「――え?」
手塚は目を見開いた。
付き合って欲しい、って。それって……。
柴崎は特になんの表情の変化も見せず、無意識のうちかカウンターの整理を始める。
「よくあるってほどでもないけど、たまにあるのよ。男じゃなく、同性に声をかけられることがね。
たいていは、声かけられる前に分かるわね。視線で」
でもさすがに勤務中は今までなかったかな、と続ける。
「それって、もしかして。そのう……」
手塚はそっち方面にはとんと免疫がないほうだ。言葉が出てこない。
柴崎は汲んであっさりと言ってのける。
「百合かっていうんでしょ。そうよ」
百合。
手塚は硬直する。同性を恋愛の対象として見るという経験も性向も全くない手塚であるから、無理もない反応だった。
柴崎は、何でもないことのような口調で言う。
「視線は雄弁だからねー。あ、そっち方面の子だな、ってすぐにぴんとくるわよ。そういう目で見られてるんだな、って」
「……お前、そんな普通に言うな」
「だって今さら驚くほどのことでもないもの。まあ、男にナンパされるよりは珍しさは減るけど」
柴崎は笑った。ねえねえとからかいを声ににじませて、
「あんたは迫られたこととかないの? 隊の中で。男の人に」
「ばっ……、あるかよ、そんなことっ」
手塚は顔から火を噴いた。
堂上班硬派最先鋒の手塚。薔薇の巣窟と言われる男所帯でも、彼にモーションをかける豪気なやつはいないか、さすがに。
「動揺してる。あやしいわね」と柴崎は笑い、「まあ、さっきの子はお姉さまって呼ぶだけでもだめですかなあんて、けっこう可愛かったんだけどねー。勿体無いことしたかな」ふと真顔に戻ってそう言った。
「勿体無いって、……お前っ」
手塚は目を白黒させる。
柴崎はあははと肩を揺すった。
「大丈夫よー。あたしが百合に転ぶなんてことは天と地がひっくり返ったってないから。
――ああでも、例外はあるか」
「えっ」
例外って。
それどういう意味だ。
「ほら、あんたがいつまでも油売ってるから、その【例外】が迎えにきたわよ」
柴崎が手塚の背後を目で指し示す。
振り返るのと同時に、
「てづかー、何やってんのよ、もおー」
自動ドアから防護ブーツの靴音高く、郁が入ってくるのが見えた。
訓練服に身を包み、女だてら勇ましい出で立ちだ。身長があるため、ほれぼれするほど様になっている。郁は手塚のもとまでつかつかと歩み寄り、
「教官がこんな抜けてちゃだめでじゃない。あんたの班、指示待ちで訓練止まってるよ」
と噛み付いた。
「あ、悪い。今行く。
――って、え? 例外って、ええ?」
手塚は郁と柴崎を交互に見る。
柴崎はカウンターに肘をつき、身を乗り出して郁に笑いかけた。
「笠原かっこいー。じゃなかった、堂上教官、素敵よ」
「あんがと柴崎。手塚もらってくよ」
笠原は「ほら行くよ」と手塚の訓練服の袖を引っ張った。
「あ、わ、分かったよ」
「ねえ笠原、今度一緒にごはん食べようよ。旦那さんのいない日とか」
「あ、いいねー。しばらく二人で外飯行ってないもんね。絶対ね、約束だよ」
「うん。都合のいいとき連絡してね」
柔らかい笑みを向ける。
それは手塚が嫉妬してしまいたくなるほど、愛らしい笑顔で。
胸が騒ぐ。
「OK」
敬礼とウインクで郁は返した。
ばいばい、とちいさく手を振りながら柴崎は思う。
あたしが男なら絶対笠原とつきあってる。
それぐらいあたしはあんたが好きよ。
手塚は「これが【例外】なのか? これが?」と郁を指しながらもがいていた。でも袖をがっちりと押さえ込まれ、ドア口まで有無を言わさぬ力で引っ張られていく。
「何わけわかんないこと言ってるのよ。ほら、ちゃっちゃと歩いてよ手塚」
「待て、俺はいま自分のアイディンティティが崩壊しようかっていう瀬戸際なんだ。俺はこれに負けるかも、ってことか? マジか? 待ってくれ。もう少し柴崎と話させろって」
「ごちゃごちゃ言わないで。あんた今日変だよ!」
「お前に言われたくない」
「なんだとお」
いさかいを始める郁と手塚。
――あの二人がいる間は、百合も薔薇もあたしたちの間に入り込む余地なんてないのよね。
残念ながら。
二人の背中を見送りながら、柴崎はそう思いちょっとだけ舌を出した。
Fin.
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たくさんコメント寄せてくださって有難うございます。拍手のコメントは実は、どの話からぽちっとしていただいたのか分からない設定で、どの話を読んでこの感想を寄せてくださったのだろうと考えるのも密かに楽しみにしておりますv
「百合」って言葉に焦りまくる手塚wいい反応です
^^