誰であれ、自分の考えてることは、他人には伝わりにくい。
それが、たとえ親子でも。
というのが、昨日、息子と何気ない話をしていて、テニスの話になった。
「今日は運がなかった」
何という事はない、練習で、いい成績を残せなかっただけ。
五人中三位。 それなりにはなっていたみたいだが、勝てなかった。らしい。
そういう中で、こんな話題になった。
「○は、リターンをクロスに返してくる。その後もクロス、その後がストレート。□はストレートが多い。△はサーブが外に跳ねる」
ほかにも、それぞれをきちんと見ていた。
そこまでわかっていて、勝てない。……。
せっかくの分析も、役に立っているのやら いないのやら。
まあ、考えながら試合してたんだね。
こっちが見てる分には、てきとうに見えたのに、思ったより考えてたんだなあ。そう思いました。
今度は、それを大いに生かせるようになってくれたらいいんだけどね。
小さい時は、何かするにも、大変そうだった。ラケットに振り回されているというか、振り回してるだけというか。
それが、最近サーブにも力が入るようになっている。ボレーにも積極的になった。
思っているより、成長してるんだな。そう思えた。
子どもって、以外に近いからか、あまり成長したな、なんて思う事はないけど、何かの拍子に、
「おっ、こいつ こんなこともできるのか」
と、驚かされることがある。
言い換えるなら、子どもは、
《 びっくり箱 》
なんだと思う。 ただ、扱い方次第で、人を驚かしもするが、怪我をするかもしれない。
このびっくり箱は、
《 宝箱 》
なのだという事は、誰もが知っている。
この箱を、いずれ自信をもって自立できるようにするには、なかなか骨の折れる事。
あきらめず、付き合っていこう。
たとえば、びっくり箱のばねが弱ったり、強すぎたりしたとき、アドバイスが出来ればいいんだろうね。
蓋が開いたら、どうしようか? って相談できるように。こっちも引き出し増やさないとね。
息子は、着実に成長してるらしい。私も頑張らないと、置いて行かれるかもしれない。
さて、14日 の試合まで、何をすればいいのやら。
ひとまずは、そこに焦点を絞ろうか
それが、たとえ親子でも。
というのが、昨日、息子と何気ない話をしていて、テニスの話になった。
「今日は運がなかった」
何という事はない、練習で、いい成績を残せなかっただけ。
五人中三位。 それなりにはなっていたみたいだが、勝てなかった。らしい。
そういう中で、こんな話題になった。
「○は、リターンをクロスに返してくる。その後もクロス、その後がストレート。□はストレートが多い。△はサーブが外に跳ねる」
ほかにも、それぞれをきちんと見ていた。
そこまでわかっていて、勝てない。……。
せっかくの分析も、役に立っているのやら いないのやら。
まあ、考えながら試合してたんだね。
こっちが見てる分には、てきとうに見えたのに、思ったより考えてたんだなあ。そう思いました。
今度は、それを大いに生かせるようになってくれたらいいんだけどね。
小さい時は、何かするにも、大変そうだった。ラケットに振り回されているというか、振り回してるだけというか。
それが、最近サーブにも力が入るようになっている。ボレーにも積極的になった。
思っているより、成長してるんだな。そう思えた。
子どもって、以外に近いからか、あまり成長したな、なんて思う事はないけど、何かの拍子に、
「おっ、こいつ こんなこともできるのか」
と、驚かされることがある。
言い換えるなら、子どもは、
《 びっくり箱 》
なんだと思う。 ただ、扱い方次第で、人を驚かしもするが、怪我をするかもしれない。
このびっくり箱は、
《 宝箱 》
なのだという事は、誰もが知っている。
この箱を、いずれ自信をもって自立できるようにするには、なかなか骨の折れる事。
あきらめず、付き合っていこう。
たとえば、びっくり箱のばねが弱ったり、強すぎたりしたとき、アドバイスが出来ればいいんだろうね。
蓋が開いたら、どうしようか? って相談できるように。こっちも引き出し増やさないとね。
息子は、着実に成長してるらしい。私も頑張らないと、置いて行かれるかもしれない。
さて、14日 の試合まで、何をすればいいのやら。
ひとまずは、そこに焦点を絞ろうか