目だけアトピー?眼瞼炎?壮絶闘病記

原因不明と医者に見放され、ようやく知った本当のこと。
それは、銀歯と電磁波、そして薬害でした。あくまで私の体験です。

じゃぁ、どうすればよかったのかという話

2019年03月01日 13時01分02秒 | これも知っておいてほしい
目薬やステロイドが、目をこんなふうにしたというのはわかった。
 
でも、じゃぁ、そもそも、20年前、いっちばん最初に目薬を使ったのはなぜかという話までさかのぼらなくてはなりません。
 
結局、あの時に目が痒かったから目薬を使ったのですが、じゃぁ、そもそも、なんで痒かったんですかっていう話です。
 
これは、目だけでなく、他の部位のアトピーの人にもよーーーーく聞いて(読んで)欲しいところです。
 
これは、現代医学が発展するよりももっと前、戦中戦後辺りに発表されていた医学論文です。岡田茂吉師が発表しています。
 
私はこれを読んで、納得しました。
 
つまり、一番最初、眼が赤くなって痒かった時に、そのまま放置しておけばよかったわけです。
 
赤くなる=患部発熱を起こしている=そこに毒素があるから、熱で溶かして外に出そうとしている状態なのに、


それを知らずに、悪い事が起きたと捉え、それを抑止してしまった。つまり、目薬を挿して、患部発熱を止めて、出ようとしている毒素を出さないようにし、そこに留まらせてしまった。
 
放置すれば、目脂なり、涙なりの毒素が排泄されて終わりというはずだったのです。
 
(その毒素とは、何なのかというのは後日説明します。今日は長くなるので省きます。)
 
しかし、体は、その時、出られなかった毒素を、隙あらばまた出そうとして、また時を経て、また充血させる。(=患部発熱を起こし、そこに固結した毒素を溶かして外に出そうとする。その時に痒みが起こる。)しかし、また悪いことになったと思って、また目薬を挿す・・・
 
と延々と同じことを繰り返して来たのです。そして、その時に体のシステムを停止させたその目薬類の毒まで加わりますので、どんどん悪質となって行きます。
 
最終的に、もうこれ以上は無理ということで、20年の時を経て、大爆発したということになります。
 
目だけでなく、他の部位のアトピーの人も、結局同じことです。
これを心底理解して欲しいと思います。
 

病気とは排毒作用(岡田茂吉師論文です)

『救世』57号、昭和25(1950)年4月8日発行

 そもそも、病気を最も判りやすくいえば。


病気とは体内にある不純物、すなわち有毒物を種々の形によって排泄さるるその過程をいうのである

従ってこの世の中に病気ほど結構なものはないので、もし人間から病気をなくすとすれば、人間は健康を保ち得ず、到底長命などは覚束(おぼつか)ない虚弱者となるのである、これが千古不滅の真理であって、これを基本として成った医学こそ真の医学である、ゆえに、もしこの真理に外れたいかなる医術といえども、それは真の医術とはいえない疑似医術であるから、到底病気は治し得ないのである。


 そうして有毒物とは、かの喀痰、鼻汁、喀血、出血等の汚血や、膿汁、下痢便、濁尿、汗、唾液、目脂(めやに)、涙、耳ダレ、発疹、皮膚の紅潮、仝〔同〕斑点、田虫、水虫、フケ等々であって、まず喀痰、鼻汁、汗、濁尿等の排泄作用が感冒であり、下痢や痔出血等は全身毒素が腹部へ集り、肛門から排泄されるのである、

また膿汁毒血等は腫物によって排泄され、各種の毒血は天然痘、麻疹(はしか)、猩紅熱(しょうこうねつ)、発疹チフス、疥癬等によって皮膚面から排泄され、その他は毒素はそれぞれ、種々の形によって排泄されるのであるから、気とは換言すれば、人体の清掃作用である以上、清掃された結果は血液が清浄化するから、健康を増すのである、そのため血行の循環はよくなり、殺菌力は強化され、体力強靭となるから罹病し難くなり、精神的には爽快感の持主となり、楽天的となるのである、
 

これに反し、常に寒冒に罹りやすく、絶えず不快で、根気なく怒りやすく、憂鬱で、神経衰弱や結核に罹りやすいのは、濁血が原因であるのは言うまでもない、そうしてあらゆる病気の中でも、最も簡単にして健康上効果顕著なのは感冒に越したものはないのである、従って、出来るだけ寒冒に罹るようにするのが最もよいのであるから、常に感冒に罹るよう心掛ければ、結核及び神経衰弱などに犯される事はないといってもいいのである。

 しかるに、この理を知らない医学は、およそ反対の解釈であるから、いかに誤っているかが判るのである、何よりも今日医学は進歩せりと言いながら実際的効果ははなはだ疑問である、むしろ進歩すればする程、真の医道と遠ざかるばかりである、見よ、今日寒冒の原因すら不明であり、結核の解決さえもいかに苦心努力しても思うようにならないというに見ても明らかである。
 右の理によって、今日至極簡単な病気でさえも容易に治らないのは逆療法によるからである、事実、吾らからいえば、病気なるものは、まことに容易に治るものである、それは神が与えた清掃作用である以上、不純物がある程度溜れば人間自身が持っている良能力の活動が発生し治るからであってみれば、ほとんどの病気は、何らの手当もせず自然に放任しておくだけで速かに治癒するのである。

 ところが、いつの時代か判らないが、前述のごとく、病気を逆の意味に解し成った医学である以上、いか程進歩したとても治るはずがない、それどころか反って苦痛は増し、生命にまで危険を及ぼすのであるから実に恐るべきものとし、適当の手段を行わなければ安心出来ないという訳で、誤りを解決するのに誤りをもって発達したのが今日の医学である、
 
とすれば、何と恐るべき愚法を続けて来たかと言えるのである、しかも、これがため何百何千年間人類はいかに大なる犠牲を払って来たであろう、それらを考える時全く聖書にある禁断の果実とは医薬をいったのではないかとさえ怪しまれるのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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