■1月9日(水)
この日は仙台から石巻へ。7時すぎにゲストハウスを出発。電車を乗り継いで10時過ぎに石巻に到着。この日は雪が舞う寒い1日でした。
石巻駅近くの商店街
お知り合いのKさんに紹介してもらって、午前中は「みらいサポート石巻」を訪ね、スタッフの藤間さんから震災以降の町の様子を伺いました。
「みらいサポート石巻」事務所
「みらいサポート石巻」は、2011年夏、その頃は石巻を出ていく人が多い中、訪れる人を増やそうと設立されたそうです。
平野部の約30%に津波が来たこと、避難所になっていた小学校にも津波が来たこと、避難した人は仮設住宅、親戚の家などのほか、仮設だけでは足らず、家賃が2年無料になるアパート(みなし仮設)などに住んでいること…
また、お店などは求人を出してもなかなか人が集まらないそうで、もしかしたら届け出されれているよりも多くの人が出ていってしまっているのでは?という話もありました。
(石巻の人口は震災前は16万人でしたが、震災後は15万人くらいになっているそうです)
心に残ったのは「被災地や被災者といっても状況はさまざま。ひとくくりにまとめていう言葉は本当はないと思います」というお話。
本当に、1人1人失ったもの、おかれた状況は様々…。大切なことに気づかせてもらった一言でした。
震災から時間が過ぎ、ボランティアの数も減ってきている今、訪れた人に現地のことを伝えてほしい…その思いを大切に持ち帰ろうと思いました。
そして、重い雰囲気ではなく、楽しみながら石巻の情報を発信して風化を防ぐという取り組みが行われつつあることも知りました。
(巻.comというサイトをつくり、石巻のファンを増やしていこうという取り組みなど)
私も訪れた一人として、これからの石巻を応援していきたいと思いました。
お話のあと、藤間さんが津波の被害にあった地域など車で案内して下さいました。
市内の高台「日和山」から海岸方向を見た景色。
同じく日和山から北上川を望む。津波は北上川を50kmも遡ったそうです。
遠くに見えるのは石巻市立病院(現在は使われていません)
平野部の光景
復興マルシェ。レストランやお土産屋さんが集まっていました。
昼食に「牛タンつくね丼」(食べかけですが…^^;)牛タンの味、食感とも美味しかったです!
午後は、同じくKさんが紹介して下さった介護施設「めだかの楽校・楽園」さんを訪ねました。
Kさんはギター演奏で定期的に訪問しているということで、私もピアノを弾かせてもらいました。お年寄りやスタッフの方たちと「春よ来い」「おぼろ月夜」「もみじ」などの童謡などを合唱。皆さん歌うのに慣れておられるようで(1人1冊ずつ歌詞を書いた歌集を持っておられた!)、元気よく大きな声で歌ってくださいました。
宮城県と和歌山県の特産品を紹介しあったり、色々お話させてもらっていると、はじめの緊張もとけて、あっという間に1時間が過ぎていました。
(下の3枚の写真はめだかの楽校の職員さんがプリントして送ってくださったものです)
最後に集合写真(垂れ幕まで用意して下さったのには驚きましたが嬉しかったです)
レクリエーションタイムの後、スタッフの方から地震直後の状況などお話を伺いました。
地震が起きたあと、代表のIさんの判断で、近くの避難所になっている小学校ではなく、もっと高台の日和山まで、早くにお年寄り全員を連れてのぼっていたそうで、みんな無事だったそうです。
ただ、いったん避難した後、毛布などを取りに行った(この日は雪が降っていたそうです)職員さん5人が津波に流されてしまったものの、全員無事に帰ってきてくれたそうで、「帰ってくるまでは生きた心地がしなかった」とIさん。
津波に流されたというYさんにもお話を聞きましたが、大変な体験だったがそれを周りに伝えていくことが自分がこれからするべきことだという気持ち、と話しておられました。
「心のケアがこれからは大切」とYさん、そして別の職員のSさん。和歌山にいる私が東北の方たちにできることは、震災に見舞われた人たちの思いを忘れず、周りの人たちに伝えていくこと…、そう思いました。
この日は仙台から石巻へ。7時すぎにゲストハウスを出発。電車を乗り継いで10時過ぎに石巻に到着。この日は雪が舞う寒い1日でした。
石巻駅近くの商店街
お知り合いのKさんに紹介してもらって、午前中は「みらいサポート石巻」を訪ね、スタッフの藤間さんから震災以降の町の様子を伺いました。
「みらいサポート石巻」事務所
「みらいサポート石巻」は、2011年夏、その頃は石巻を出ていく人が多い中、訪れる人を増やそうと設立されたそうです。
平野部の約30%に津波が来たこと、避難所になっていた小学校にも津波が来たこと、避難した人は仮設住宅、親戚の家などのほか、仮設だけでは足らず、家賃が2年無料になるアパート(みなし仮設)などに住んでいること…
また、お店などは求人を出してもなかなか人が集まらないそうで、もしかしたら届け出されれているよりも多くの人が出ていってしまっているのでは?という話もありました。
(石巻の人口は震災前は16万人でしたが、震災後は15万人くらいになっているそうです)
心に残ったのは「被災地や被災者といっても状況はさまざま。ひとくくりにまとめていう言葉は本当はないと思います」というお話。
本当に、1人1人失ったもの、おかれた状況は様々…。大切なことに気づかせてもらった一言でした。
震災から時間が過ぎ、ボランティアの数も減ってきている今、訪れた人に現地のことを伝えてほしい…その思いを大切に持ち帰ろうと思いました。
そして、重い雰囲気ではなく、楽しみながら石巻の情報を発信して風化を防ぐという取り組みが行われつつあることも知りました。
(巻.comというサイトをつくり、石巻のファンを増やしていこうという取り組みなど)
私も訪れた一人として、これからの石巻を応援していきたいと思いました。
お話のあと、藤間さんが津波の被害にあった地域など車で案内して下さいました。
市内の高台「日和山」から海岸方向を見た景色。
同じく日和山から北上川を望む。津波は北上川を50kmも遡ったそうです。
遠くに見えるのは石巻市立病院(現在は使われていません)
平野部の光景
復興マルシェ。レストランやお土産屋さんが集まっていました。
昼食に「牛タンつくね丼」(食べかけですが…^^;)牛タンの味、食感とも美味しかったです!
午後は、同じくKさんが紹介して下さった介護施設「めだかの楽校・楽園」さんを訪ねました。
Kさんはギター演奏で定期的に訪問しているということで、私もピアノを弾かせてもらいました。お年寄りやスタッフの方たちと「春よ来い」「おぼろ月夜」「もみじ」などの童謡などを合唱。皆さん歌うのに慣れておられるようで(1人1冊ずつ歌詞を書いた歌集を持っておられた!)、元気よく大きな声で歌ってくださいました。
宮城県と和歌山県の特産品を紹介しあったり、色々お話させてもらっていると、はじめの緊張もとけて、あっという間に1時間が過ぎていました。
(下の3枚の写真はめだかの楽校の職員さんがプリントして送ってくださったものです)
最後に集合写真(垂れ幕まで用意して下さったのには驚きましたが嬉しかったです)
レクリエーションタイムの後、スタッフの方から地震直後の状況などお話を伺いました。
地震が起きたあと、代表のIさんの判断で、近くの避難所になっている小学校ではなく、もっと高台の日和山まで、早くにお年寄り全員を連れてのぼっていたそうで、みんな無事だったそうです。
ただ、いったん避難した後、毛布などを取りに行った(この日は雪が降っていたそうです)職員さん5人が津波に流されてしまったものの、全員無事に帰ってきてくれたそうで、「帰ってくるまでは生きた心地がしなかった」とIさん。
津波に流されたというYさんにもお話を聞きましたが、大変な体験だったがそれを周りに伝えていくことが自分がこれからするべきことだという気持ち、と話しておられました。
「心のケアがこれからは大切」とYさん、そして別の職員のSさん。和歌山にいる私が東北の方たちにできることは、震災に見舞われた人たちの思いを忘れず、周りの人たちに伝えていくこと…、そう思いました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます