以前、トム・クルーズも出演している、コーエン兄弟監督の『マグノリア』という映画がありました。
奇抜な、想像を絶するラストでしたので、公開当時は「わかりにくい・・・」映画とされていた記憶があります。
僕はこの映画、好きでも嫌いでもないのですが、内包するテーマには「う~ん・・」とうなったものです。
「人は誰しも誰かを愛したい」んだね、おかしいね。
「人は誰でも誰かに愛されたい」んだね、おかしいね。
これがあの映画のテーマでした。 えらく単純です。
映画の中の登場人物は皆「普通」とは少しだけかけ離れた人生を歩む人ばかり。
昔は天才少年と謳われたものの今は普通以下のおじさんに成り下がった男。
今現在、親から愛されていない天才少年。
末期癌を患った人気クイズ番組の司会者とその妻。
死にかけている大富豪とその若い妻。
セックス教団の教祖。
失敗をやらかした警察官、そいつが思いを寄せる女・・・・。
これら登場人物のエピソードが少しずつからみ、もつれあい、ラストに向かって突進します。
長い時間の映画なのですがそれを感じなかった覚えがあります。 さすがコーエン兄弟、なのでしょう。
ラストは、ネタバレだけど古い映画なのでもういいでしょう、空から「カエルの雨」が降ってくるという。
僕はこのカエルの雨を、コーエン兄弟の嘲笑、そしてちょっぴりの愛情と受け取りました。
人間っておかしいよね、でも憎めないんだな、不思議だよね・・・というような・・・。
僕は今、ある問題を抱えています。
何も隠すことはないので言うと、両親・兄弟を含めた親族に愛情どころか憎しみさえ感じている事です。
僕の親や兄弟、親戚連中にとって僕は「出来損ないの駄目男」でしかありません。
それはある部分事実であり、別にそこを反論をしたい訳じゃないのです。
が、彼らには僕の本当の部分を理解する器量や能力に欠けているとしか思えないのです。
僕に言わせれば彼らこそ自分本位だけの駄目な人間たちなのです。
しかし、いくらそれを言っても理解されないどころか軽蔑が増すだけです。
僕は、いま心の底から彼らとは完全に縁を切りたいと願っています。
例えば、僕はいま癌になったとして、お金も無いので助かる見込みはありません。
その際、延命をはかるために彼らの金銭的な援助を受けるくらいなら、死んだほうがマシです。
「何でこいつの為に大金をうちが払わなくちゃいけないんだ。早く死ね!」
などと思われるよりは死んだほうがマシ!
僕は、今実際に癌になったら、それも末期になったらホスピスを頼ろうと思っています。
何故なら、僕が考えるに、親族の奴等は間違いなく上記のように思う人間たちだからです。
具体的に親族としての縁を切るには、やはり法的な手段を踏む必要があるでしょう。
これは、もう少し僕の生活が安定しないと無理・・・。
お金もかかるのでしょうから。
ここまで思い、言い放っておきながら、この考えにイエス様は顔をしかめるだろうな・・
・・・との思いもあるのです。
キリスト教の考え方・教理からすると僕のこの判断は間違いでしょう。
それが一抹の無念を喚起します。
でもね、しかしね、これはもうしょうがないと思うんですよね。
こうする他無いと思うのです。
アーメン。。。
奇抜な、想像を絶するラストでしたので、公開当時は「わかりにくい・・・」映画とされていた記憶があります。
僕はこの映画、好きでも嫌いでもないのですが、内包するテーマには「う~ん・・」とうなったものです。
「人は誰しも誰かを愛したい」んだね、おかしいね。
「人は誰でも誰かに愛されたい」んだね、おかしいね。
これがあの映画のテーマでした。 えらく単純です。
映画の中の登場人物は皆「普通」とは少しだけかけ離れた人生を歩む人ばかり。
昔は天才少年と謳われたものの今は普通以下のおじさんに成り下がった男。
今現在、親から愛されていない天才少年。
末期癌を患った人気クイズ番組の司会者とその妻。
死にかけている大富豪とその若い妻。
セックス教団の教祖。
失敗をやらかした警察官、そいつが思いを寄せる女・・・・。
これら登場人物のエピソードが少しずつからみ、もつれあい、ラストに向かって突進します。
長い時間の映画なのですがそれを感じなかった覚えがあります。 さすがコーエン兄弟、なのでしょう。
ラストは、ネタバレだけど古い映画なのでもういいでしょう、空から「カエルの雨」が降ってくるという。
僕はこのカエルの雨を、コーエン兄弟の嘲笑、そしてちょっぴりの愛情と受け取りました。
人間っておかしいよね、でも憎めないんだな、不思議だよね・・・というような・・・。
僕は今、ある問題を抱えています。
何も隠すことはないので言うと、両親・兄弟を含めた親族に愛情どころか憎しみさえ感じている事です。
僕の親や兄弟、親戚連中にとって僕は「出来損ないの駄目男」でしかありません。
それはある部分事実であり、別にそこを反論をしたい訳じゃないのです。
が、彼らには僕の本当の部分を理解する器量や能力に欠けているとしか思えないのです。
僕に言わせれば彼らこそ自分本位だけの駄目な人間たちなのです。
しかし、いくらそれを言っても理解されないどころか軽蔑が増すだけです。
僕は、いま心の底から彼らとは完全に縁を切りたいと願っています。
例えば、僕はいま癌になったとして、お金も無いので助かる見込みはありません。
その際、延命をはかるために彼らの金銭的な援助を受けるくらいなら、死んだほうがマシです。
「何でこいつの為に大金をうちが払わなくちゃいけないんだ。早く死ね!」
などと思われるよりは死んだほうがマシ!
僕は、今実際に癌になったら、それも末期になったらホスピスを頼ろうと思っています。
何故なら、僕が考えるに、親族の奴等は間違いなく上記のように思う人間たちだからです。
具体的に親族としての縁を切るには、やはり法的な手段を踏む必要があるでしょう。
これは、もう少し僕の生活が安定しないと無理・・・。
お金もかかるのでしょうから。
ここまで思い、言い放っておきながら、この考えにイエス様は顔をしかめるだろうな・・
・・・との思いもあるのです。
キリスト教の考え方・教理からすると僕のこの判断は間違いでしょう。
それが一抹の無念を喚起します。
でもね、しかしね、これはもうしょうがないと思うんですよね。
こうする他無いと思うのです。
アーメン。。。