前回の日曜日、わが稔台教会では普段どおりの礼拝後に新年の祝いをやったのです。
みんなで料理を持ち寄って楽しく食べ、かつ飲みましょう!という。
そして、今回の催しでは、昨年洗礼を受けた者が「証」をすることになっていました。
「証」と聞いてもピンときませんよね?
多分、ですが・・・(苦笑)
洗礼を受けて、その前とその後にどんな違いがあったのか・・・表明することだと僕は思いました。
僕はその時に、今まで二人にしか明かしてない事実を、初めて人前で話しました。
僕の別れた奥さんは、一度妊娠したことがありました。
子供は僕は大好きですし、妊娠は望んでいたことだったのですごく喜びました。
ところが奥さんは内心喜んでなかったのでした。
結局、細かい経緯は省きますが、奥さんはその子供を、僕に何の相談もなく、おろしてしまったのです。
僕と彼女が離婚をした原因はとてもひとつには集約できません。
でも、この「子供を僕に相談もなく勝手におろした」という事実は、とても大きな理由になります。
おろしたと知らされた時、僕は、彼女を「人殺し!」とののしってしまいました。
彼女の顔を見ているだけで憎しみが沸きあがり、殴りはしませんでしたが、
その後は彼女を自分と同じ人間とは思わないようになってしまった。
軽蔑してしまったのです。
彼女なりの言い分もあったのです。
彼女は、僕が子供好きであるのを結婚するまえから知っていました。
そして、妊娠したその頃、彼女自身は、僕の愛情が薄れてきている・・・と思っていたようなのです。
「このまま子供を生んだら、この人は子供を溺愛して、自分を捨てるのではないか・・・?」
そんな根も葉もない疑念を、彼女は心の底に抱くようになってしまったようです。
実際にはどうだったのか。
僕は彼女を愛せなくなっていたのでしょうか?
残念ながら、多少それは当たっていたと思うのです。
彼女はお酒を好み、喫煙もしました。それらを自分の楽しみとし、自らをなぐさめていたのです。
特にお酒の量は結婚後には飛躍的に増え続き、ついには毎日必ず1~2本の酒瓶が空くようになりました。
たぶん、彼女は軽いアルコール中毒に侵されていたのだと思っています。
子供を身ごもっているのに、そんなにお酒を飲んで大丈夫なのか・・・・?
妊娠発覚後、僕はそう考え、彼女に「禁酒」をするよう求めました。
子供に障害を与えてしまうじゃないか・・・とかなんとか言って。
今から考えると僕も幼かった。未熟でした。もっと他に言い様、やりようがあった気がします。
結局、奥さんは子供よりもお酒を取った、ただそれだけのことなのです。
そういう選択をさせてしまったのは僕にも責任があると、今では思っています。
これが、この事実が、長らく他人にはどうしても言えませんでした。
怖かったのか。 罪と思っていたのか。 本当によく判りません。
これは両親にも今まで話したことがなかったくらいなのです。
誰にも話せませんでした。僕にはつらすぎる事実でした。
これはひとつの重い重い「しこり」となって、僕の中に居座り続けました。
でも、最近になって、教会に来るSさんご一家の可愛い子供たちと遊んでもらうようになって、
僕の中のこの「しこり」が「溶けて行く・・・」気がしてました。
最初は子供たちにとってはエイリアンだった僕にも時間とともに慣れたのでしょう、
子供たちは僕に甘えてくれるようになりました。
具体的に言えば、僕に身を預けてくれるようになりました。
たぶん、これがどういう常態か、子供をお持ちの方ならば理解してくれるでしょう。
僕があぐらをかいていれば、その上に彼らは乗ってくるようになりました。
最初は僕も驚きましたが、慣れると共に、信頼を得られたという嬉しさが大きくなってきました。
その嬉しさが、しこりを溶かしたのです。
するとどこかからエネルギーが届くようになりました。
それをあえて言葉にすると、
「これでいいじゃないか。君はいま、とても幸せだよね。よかったよね」
という感じの。
これは、もしかしたら自分が作り上げた、幻想かもしれません。
自己催眠のたぐいなのかもしれません。
でもね、それでもいいと思ってるんです。
そういう風に自分を痛めつけるのは、もう止めた僕なのです。
アーメン。。。
みんなで料理を持ち寄って楽しく食べ、かつ飲みましょう!という。
そして、今回の催しでは、昨年洗礼を受けた者が「証」をすることになっていました。
「証」と聞いてもピンときませんよね?
多分、ですが・・・(苦笑)
洗礼を受けて、その前とその後にどんな違いがあったのか・・・表明することだと僕は思いました。
僕はその時に、今まで二人にしか明かしてない事実を、初めて人前で話しました。
僕の別れた奥さんは、一度妊娠したことがありました。
子供は僕は大好きですし、妊娠は望んでいたことだったのですごく喜びました。
ところが奥さんは内心喜んでなかったのでした。
結局、細かい経緯は省きますが、奥さんはその子供を、僕に何の相談もなく、おろしてしまったのです。
僕と彼女が離婚をした原因はとてもひとつには集約できません。
でも、この「子供を僕に相談もなく勝手におろした」という事実は、とても大きな理由になります。
おろしたと知らされた時、僕は、彼女を「人殺し!」とののしってしまいました。
彼女の顔を見ているだけで憎しみが沸きあがり、殴りはしませんでしたが、
その後は彼女を自分と同じ人間とは思わないようになってしまった。
軽蔑してしまったのです。
彼女なりの言い分もあったのです。
彼女は、僕が子供好きであるのを結婚するまえから知っていました。
そして、妊娠したその頃、彼女自身は、僕の愛情が薄れてきている・・・と思っていたようなのです。
「このまま子供を生んだら、この人は子供を溺愛して、自分を捨てるのではないか・・・?」
そんな根も葉もない疑念を、彼女は心の底に抱くようになってしまったようです。
実際にはどうだったのか。
僕は彼女を愛せなくなっていたのでしょうか?
残念ながら、多少それは当たっていたと思うのです。
彼女はお酒を好み、喫煙もしました。それらを自分の楽しみとし、自らをなぐさめていたのです。
特にお酒の量は結婚後には飛躍的に増え続き、ついには毎日必ず1~2本の酒瓶が空くようになりました。
たぶん、彼女は軽いアルコール中毒に侵されていたのだと思っています。
子供を身ごもっているのに、そんなにお酒を飲んで大丈夫なのか・・・・?
妊娠発覚後、僕はそう考え、彼女に「禁酒」をするよう求めました。
子供に障害を与えてしまうじゃないか・・・とかなんとか言って。
今から考えると僕も幼かった。未熟でした。もっと他に言い様、やりようがあった気がします。
結局、奥さんは子供よりもお酒を取った、ただそれだけのことなのです。
そういう選択をさせてしまったのは僕にも責任があると、今では思っています。
これが、この事実が、長らく他人にはどうしても言えませんでした。
怖かったのか。 罪と思っていたのか。 本当によく判りません。
これは両親にも今まで話したことがなかったくらいなのです。
誰にも話せませんでした。僕にはつらすぎる事実でした。
これはひとつの重い重い「しこり」となって、僕の中に居座り続けました。
でも、最近になって、教会に来るSさんご一家の可愛い子供たちと遊んでもらうようになって、
僕の中のこの「しこり」が「溶けて行く・・・」気がしてました。
最初は子供たちにとってはエイリアンだった僕にも時間とともに慣れたのでしょう、
子供たちは僕に甘えてくれるようになりました。
具体的に言えば、僕に身を預けてくれるようになりました。
たぶん、これがどういう常態か、子供をお持ちの方ならば理解してくれるでしょう。
僕があぐらをかいていれば、その上に彼らは乗ってくるようになりました。
最初は僕も驚きましたが、慣れると共に、信頼を得られたという嬉しさが大きくなってきました。
その嬉しさが、しこりを溶かしたのです。
するとどこかからエネルギーが届くようになりました。
それをあえて言葉にすると、
「これでいいじゃないか。君はいま、とても幸せだよね。よかったよね」
という感じの。
これは、もしかしたら自分が作り上げた、幻想かもしれません。
自己催眠のたぐいなのかもしれません。
でもね、それでもいいと思ってるんです。
そういう風に自分を痛めつけるのは、もう止めた僕なのです。
アーメン。。。