スピリチュアリストの江原啓之さんという方がおられます。
毀誉褒貶ある方で、彼を好きな人はまるで教祖のごとく崇拝し、
逆に嫌いな人はまるで詐欺師か犯罪者あつかいをするという(苦笑)
僕はどちらかというと好きですね。
無論、彼も人間である以上、欠点も少なからず見受けられますので、
僕から見ても嫌いな面はいくつかあります。
だけど彼の場合その欠点をおぎなって余りあるほどの良さがあり、
多大な社会貢献を果たしていると思うのです。
彼の著書、講演、テレビ番組で心の救われた人は多いでしょう。
僕も彼の『スピリチュアリズムを語る』という本は繰り返し繰り返し読むほど気にいっていますし、
彼が近所に講演にきた際には迷わず見に行きました。
講演は超満員で、内容も彼の美点をフルに発揮した素晴らしいものでした。
同時に「愚痴をくどくどと言う」という彼の欠点も発揮されてましたが(苦笑)
さて、その江原氏。
僕が彼にシンパシーを感じるのは、彼が聖フランチェスコを尊敬しているからです。
以下は先述した彼の著書『スピリチュアリズムを語る』の中にある、
彼のキリスト教観を語った部分です。
「私が尊敬しているのは聖フランチェスコとマザー・テレサです。それでもあの人たちは、キリスト教世界の中では異端扱いされます。そうでなかったら、キリスト教者は全員がマザー・テレサのような、フランチェスコのような精神で生きるべきです。(中略)
イエスは、人々の間違った生き方を正し、真の道を磔にされてまで説いていました。
原則的には、私はイエスを尊敬しています。そのほかの宗教より大我な部分もあるからです。キリスト教は偽善者が多いというふうにいう人もいるけれども、ドネーションなどの『社会貢献』ということでは、大我な実践があります」
まったく同感です。
江原さんのこういった分析力・判断力は信を置けるものであり、
僕が彼を好きなのはまさにこういう部分なのです。
良いところは良い、
悪いところは悪い、とする公平な視線。
今の世の中にもっとも欠けている部分でもあると思います。
アーメン。
毀誉褒貶ある方で、彼を好きな人はまるで教祖のごとく崇拝し、
逆に嫌いな人はまるで詐欺師か犯罪者あつかいをするという(苦笑)
僕はどちらかというと好きですね。
無論、彼も人間である以上、欠点も少なからず見受けられますので、
僕から見ても嫌いな面はいくつかあります。
だけど彼の場合その欠点をおぎなって余りあるほどの良さがあり、
多大な社会貢献を果たしていると思うのです。
彼の著書、講演、テレビ番組で心の救われた人は多いでしょう。
僕も彼の『スピリチュアリズムを語る』という本は繰り返し繰り返し読むほど気にいっていますし、
彼が近所に講演にきた際には迷わず見に行きました。
講演は超満員で、内容も彼の美点をフルに発揮した素晴らしいものでした。
同時に「愚痴をくどくどと言う」という彼の欠点も発揮されてましたが(苦笑)
さて、その江原氏。
僕が彼にシンパシーを感じるのは、彼が聖フランチェスコを尊敬しているからです。
以下は先述した彼の著書『スピリチュアリズムを語る』の中にある、
彼のキリスト教観を語った部分です。
「私が尊敬しているのは聖フランチェスコとマザー・テレサです。それでもあの人たちは、キリスト教世界の中では異端扱いされます。そうでなかったら、キリスト教者は全員がマザー・テレサのような、フランチェスコのような精神で生きるべきです。(中略)
イエスは、人々の間違った生き方を正し、真の道を磔にされてまで説いていました。
原則的には、私はイエスを尊敬しています。そのほかの宗教より大我な部分もあるからです。キリスト教は偽善者が多いというふうにいう人もいるけれども、ドネーションなどの『社会貢献』ということでは、大我な実践があります」
まったく同感です。
江原さんのこういった分析力・判断力は信を置けるものであり、
僕が彼を好きなのはまさにこういう部分なのです。
良いところは良い、
悪いところは悪い、とする公平な視線。
今の世の中にもっとも欠けている部分でもあると思います。
アーメン。