8月1日
午前9時、新潟の地を踏む。
ここから先は、暑さとの戦いだ。
いや、それは既に、数日前からの北海道でも始まっていたのだが。
本州に入ってからは、宿泊場所の選択が、観光以上の大命題と言わねばならない。
少し長くなる。
要するに、クーラーが無い環境で車中泊するのは、どうにも辛すぎるのだ。
辛いどころか、重大な体調悪化を招きかねない。
かと言って、エンジンをかけながら就寝するというのは、もっと抵抗がある。
解決策は、
1 飛び切り標高の高い場所を転々とする。
2 旅館やホテルを調べて予約する。
3 電源付きのキャンプ場を探す。
4 北海道最後の夜のように、同じく電源付きのRVパークに泊まる。
このいずれかの方法しかあるまい。
スワロー号が九州へ帰巣する為には、1と3はルート選びが難しそうだし、2は私の性分からしてもっと無理だ。
結局4しか選択の余地はないのだが、困ったことに、これがどこにもここにもあると言う代物ではないのだ。
先ず、新潟県と富山県にあるそれは、いずれも予約で一杯だった。
一番近いRVパークは、なんと新潟市から石川県羽咋市まで走らねばならぬ。
更に面倒なことには、当然チェックインの時間がある。
観光等に制限が出てくるのは致し方あるまい。
それでもこの日、河合継之助関連の史跡をいくつか見て回れるはずだった。
さてここからが、予告していた本題である。
フェリーを降りて長岡方面にバイパスを進む。
バイパス降り口で渋滞につかまり、トラックの後ろにしばらく停車中のことだった。
ガシャーン!!
突然の轟音と共に、前へ持っていかれそうな衝撃が走る。
暫くは、自分の身に何が起こったのか判らなかった。
追突されたのだと理解するのに、数秒を要した。
我に返り車を降りて、後ろのパネルを確認してみる。
間違いなく、ついさっきの衝撃が、追突されたことを物語っていた。
これが、最初に脳裏に浮かんだ感想だ。
後方の車から、運転手が降りてきて、
「すみませーーーん。」
「とにかく渋滞中だし、どこか車を置ける場所まで降りましょうか。」
FRP製のリヤのバンパー部分は、ひびが入ってしまっている。
リヤパネルも大きく湾曲している。
断っておくが、長年、車の修理を生業としてきた私だ。
この程度の損傷を見て、動揺するようなことはない。
私の会社には、完璧に復元できる社員が何人もいる事は分かっているからだ。
ただ、この事故処理に要する時間の無駄と、帰ってから後、修理完了するまで、この車で遊べなくなる事が、うんざりするほど憂鬱なだけである。
案の定、警察の現場検証と、保険会社への報告等で、2時間ほど時間を食ってしまった。
河合継之助関連史跡へ行くのは、チェックインの時間からして、全てアウトだ。
やれやれ、
結局この日、移動するだけの一日となってしまった。
家内に、こんな事があったと一応電話した。
ヤツは娘の引っ越し準備の手伝いで、ことのほか忙しいらしく、
「怪我しとらん?ちゃんと保険会社に連絡した?そんならよか。じゃあね。ガチャン!」
瞬時に電話を切られた。
・・・おのれ。
とにかく、帰還の日を一日早めて3日にする事にした。
これからの3日間は、ひたすら移動である。
お風呂はユーフォリア千里浜 460円