毎日登る高良山。
南北朝時代、
その頂上付近には、征西将軍懐良親王を奉じた南朝方の毘沙門城が築かれ、征西府とした。
ここがその郭跡である。
ここのすぐ西側には、菊池勢が陣した杉ノ城跡などもある。
毘沙門城からは、筑後川と筑後平野がよく見て取れる。
筑後川北岸に広がる沃野が、北朝側の陣が敷かれていた、所謂大保原である。
両軍が筑後川を挟んで対峙した。
筑後川に掛かる高速道路の橋(左の方のベージュ色)のすぐ近くには、杜の渡しと言う史跡がある。
とりあえず、そこを目指してみる。
これが、高良山から見えた、杜の渡し跡だ。
満を持して高良山を駆け下った南朝方主力菊池武光が渡河に成功した地点がここだ。
ここを契機に、世に謂う大保原の合戦の火蓋が切って落とされた。
(筑後川北岸より高良山を望む。)
両軍合わせて10万がこの野でぶつかる。
その戦いの苛烈さは、おそらく日本合戦史上最大ではなかろうか。
両軍の大将クラスが多数戦死しているし、親王自らも深手を負っている程だ。
五万騎塚
久留米から小郡にかけては、こういう戦死者を弔った塚がいくつもある。
宮の陣神社
懐良親王は筑後川を背に、ここに所謂背水の陣を敷いた。
宮の陣という地名は、これに由来する。
ここには親王が手ずからに植えたと謂われる『将軍梅』が今も残っている。
紅梅がぼちぼち蕾を広げていた。
これが将軍梅だ。
幹の太さが樹齢を感じさせる。
無論、久留米では一番の梅の古木である。
将軍梅自体は、開花はまだまだ先のようだ。
筑後地域には、南北朝時代の史跡がたくさんある。
いずれまたの折に。