介護というには大袈裟ですが。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

寒くなると思い出す あの人 [4]

2023-01-25 17:05:46 | 日記

私が新入社員だった頃の社長はオーナー社長の息子であり二代目だった。そのためか、性格は良く言えば豪快、悪く言えばワガママであり、従業員も、彼に振り回されるのは日常茶飯事であった。
今では考えられない様な事も当時は当たり前だった。それでも200名近い従業員からは、そこまで不満は出なかった、少なからず私は2代目社長に対して嫌いになったことはなかった。三波伸介 (知らない人はネットで調べて見てくださいね)に似た風ぼう、そして笑うと何とも言えないチャーミングな、あの笑顔。人間味あふれる彼を私は心底大好きだったのだ。
そんな豪快な彼とツネ師匠がどこで知り合いになったのかは、後々わかるのだが、その段階ではまだ、誰もわかっていなかった。しかし困っている人をカッコつけて受け入れてしまう社長の性格からツネ師匠を勢いて入社させたのは容易に想像出来た。


寒くなると思い出す あの人 [3]

2023-01-24 15:42:58 | 日記
中小でブラック企業の我が社に何故ツネ師匠の様な方が入社したのかは従業員の間で話題になり、明確な答えは分からずにいた。ツネ師匠は過去の事を全く語ることはなかったのだ。
『どのような仕事をされていたのですか。』
と我が社の若い女子社員が興味本位で聞いても、大したことはしてませんよ。と笑顔で答えを曖昧にした。
そんな中、我が社の社長と個人的な知り合いであることが、会社のお偉いさんから噂話しとして出てきた。そして我が社の従業員は、ほぼその噂は間違いないと感じた。我が社では、社長の知り合いの入社は珍しい話では全くなかったのである。
私も実は社長の事は学生時代から知っていて、かなりコネ入社に近い形で入社した経緯がある、その辺の事を書いてしまうと原稿用紙50枚位書いてしまうので割愛するが、当時の社長は人間味あふれる、昭和の豪快さと、いい加減さを兼ね備えた、愛すべきワンマン経営者であった。

寒くなると思い出す あの人 [2]

2023-01-24 05:42:56 | 日記
今から約30年前、中小でブラック企業の我が社にツネ師匠は中途で入社してきた。
これは当時は非常に珍しい事で、我が社の従業員はどんなヒトなのか、それこそ興味津々で彼を注視し接していたらしい。いたらしいと言うのは私が入社前の話であるからだ。
そんな好奇の目で見られていたツネ師匠だが、一言で言えばインテリジェンスな方だった。
体育会のノリ重視の我が社の社風とは少し異なり、少し白髪交じりの髪をキレイに七三分けにし、ビシッとしたスーツを着こなし、おしゃれなメガネをしていた。
語り口調はユックリ丁寧、品のある佇まいは、言動一つ一つに格式を感じさせ説得力を持たせた。
ツネ師匠に周りが一目置くのに、そこまで時間を要さなかった。


寒くなると思い出す あの人。 [1]

2023-01-23 05:07:33 | 日記
早いもので新しい年が明けたと思ったら、もう1月も後半に入った。それにともない、朝晩は当然、日中も気温が上がらずグッと寒さが厳しくなっている。
中小でブラック企業に勤め毎日毎日あくせくしている私だが、寒くなると、ふと30年前の事を思い出す。
私が今の会社に入りたての時に何かと面倒を見てくれた。定年間近の ツネさんのことである。
その温厚な性格から、皆はツネさんツネさんと呼び慕っていた。が、私は40歳も年齢が上の先輩をツネさんとは呼ぶわけにはいかないので、ツネ師匠、ツネ部長さん。と呼んでいた。
そんなツネ師匠は少し変わった経歴を持っていた。当時では珍しい中途採用だったのである。


高齢者こそ、自由に遊びましょう。

2023-01-12 15:41:47 | 日記
年賀状は少なかったものの、我が家の電話は1月1日の午後から忙しく動いた。
母の友人から新年の挨拶の電話が頻繁になっていたのだ。母も気にかけた友人知人の類に電話をした。
コロナ禍で窮屈な生活は高齢者の気持ちに重く影を落とした。
それでも新年の挨拶と近況報告は母の声をどんどん元気に張りのあるものにしていった。
『落ち着いたら、ユックリ逢いましょう。』
『春になったら出かけましょう。』
お正月の三が日、母は電話を独占し、沢山の友人知人と元気にやり取りをした。
来年も再来年も、この光景が続いてほしい。そう思った。
色々と暗いニュースばかりですが、せっかくの人生、無理しない程度に高齢者の方こそ遊んでください。