私達のすむ団地の直ぐ近くに「絹の道」と言う道があります。
この道はかつては「神奈川往還」または「浜街道」とも呼ばれていました。
1859年に横浜が開港し、その後鉄道が発達する明治の中ごろまで
輸出用の生糸が多く運ばれたルートの一つです。
八王子近郊はもとより長野・山梨・群馬などで生産された生糸はこの道を通って
八王子宿に集められました。そしてこの道を通って横浜に運ばれました。
その生糸の取引で短い期間に巨額の富をなしたのが「鑓水商人」です。
今でもその代表が「小泉屋敷」といって当時のままの形で残っています。
絹の道の石碑と大塚山公園です。
20年位前までは堂了尊という建物が建っていたのですが、その後荒れて廃屋に
なってしまいそこを壊して整備して今は大塚山公園として絹の道の出発点に
なっています。
ここが絹の道で昔ながらの手付かずの道が1・5kmほど続き文化庁選定の
「歴史の道百選」にも選ばれています。この坂を下りきったところに
「絹の道歴史資料館」がたっています。
この遣水付近はまだ自然がいっぱい残っていて、ホタルの里としても
守られていました。
絹の道を散策しながら見つけた草花をご紹介します。
この道はかつては「神奈川往還」または「浜街道」とも呼ばれていました。
1859年に横浜が開港し、その後鉄道が発達する明治の中ごろまで
輸出用の生糸が多く運ばれたルートの一つです。
八王子近郊はもとより長野・山梨・群馬などで生産された生糸はこの道を通って
八王子宿に集められました。そしてこの道を通って横浜に運ばれました。
その生糸の取引で短い期間に巨額の富をなしたのが「鑓水商人」です。
今でもその代表が「小泉屋敷」といって当時のままの形で残っています。
絹の道の石碑と大塚山公園です。
20年位前までは堂了尊という建物が建っていたのですが、その後荒れて廃屋に
なってしまいそこを壊して整備して今は大塚山公園として絹の道の出発点に
なっています。
ここが絹の道で昔ながらの手付かずの道が1・5kmほど続き文化庁選定の
「歴史の道百選」にも選ばれています。この坂を下りきったところに
「絹の道歴史資料館」がたっています。
この遣水付近はまだ自然がいっぱい残っていて、ホタルの里としても
守られていました。
絹の道を散策しながら見つけた草花をご紹介します。
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