主人の趣味の一つに高山植物を育てて花を見るということがあります
ある年エーデルワイスの花が咲きました。その花をガーデニングの人が押し花にして
額を作ってくださいました。
とても喜んでいました
50歳のころ高校生の時からあこがれていたロッククライミングがやりたいと言い出し
都岳連の登山教室に入って技術を学び、その時の人たちでグループを立ち上げ
いろいろなところへいってました。
谷川岳の幽の沢へ行った時の写真です
グループをたちあげ今度は北穂高(3106m)の山へクライミングで行ってしまったのです
ここはただ登るだけでも大変なやまです。
それでも誰もケガすることなく帰ってきました
(ちなみにここの山小屋は八王子の人で小屋の中はクラシック音楽が流れていました)私もこの山には2回登ってます。
なんでも凝り性で徹底的にやるほうでです
音楽に関しても部屋には大きすぎるステレオ装置を持っていました。アンプは真空管
のアンプです。子供も私もまったく触れません。
なくなってから後輩の人が全部もらってくれました。おかげで部屋も広くなりました。この時は本当にほっとしました。
私は趣味というものは大したことではないのですが、仙台に住んでいたころレザークタフトを少しばかりやってあとはママさんテニスに夢中でした。これは八王子に移ってからも続け東京都の試合にも参加していました。その後体力の限界でやめました
これらを作りました。ハンドバックも作りましたが友人に上げました。
主人がなくなった時、自分の好きなことを思う存分楽しんでからだったので特に悲しい思いはしませんでした。むしろ充分な人生だったと思います。少し残念なことは
オリンパスホールをあまりいけなかったことです。
小澤征爾氏の音楽が聴きたいといって松本まで2回行ったのですが病気で舞台には
立てませんでした。主人も思い切り生きたと思います。