ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

存在感

2010-07-02 | 日記
闘莉王が、代表引退を表明した俊輔に“引退撤回”をすすめる言葉

「食事でもいつも一緒だった。あの人は熱いものを秘めていた」と闘莉王。日本サッカー協会の犬飼基昭会長も「チームが勝ち抜けたのはあいつのおかげだ。宿舎では、本田の隣で俊輔と楢崎が食事していた。腐ってもおかしくない選手が練習でも一番頑張って、誰も不満を言わない状況をつくってくれた」と評価。


「存在感がある」「存在感がない」という言葉について考えています。

よく「あの人は存在感がある」と言われる人は、顔が強烈とか、スタイルが抜群とか、声がでかいとか、化粧が奇抜とか、言うことがすごいとか、どっしりしているとか、自己主張が激しいとか、その場にいるとみんなの注目を浴びやすい人のことだと思います。

 例文:ウチのクロは声がでかくて、ギャーギャーうるさくて存在感があるなあ。

しかしその人はその場にいるから存在感があるのであって、その場にいなくなってはじめて「あの人はいったいどういう人だったのだろう」と思わせる人の方が、本当の意味で「存在感がある」のではないでしょうか。

その場にいるときは、その人の存在は人目につかないかもしれません。しかし何か心のエネルギーのようなものは磁場を持った人なら、かならず感じていると思います。
いや、それは磁場を持っている人だけでなく、誰もが感じられる類のものだとも思います。
あまりにそのエネルギーが内向していて強烈だと、それを受け取る側が、受け止められなくて無意識に自分を守るため、避けているのかもしれません。
受け止めるには受け止める側にも、同じくらいのエネルギーが要るからです。

人間よりも電気製品のような機械の方が、そのエネルギーを直に感受するかもしれません。ちょっとスピリチュアルですが。あることがあったとき、立て続けに家の電化製品が次々に壊れてしまいました。

そして、究極的に人間を支配するのは、その場にいる人の存在感よりも、いなくなった人の存在感かもしれません。

さて、闘莉王の言葉ですが
サッカーは、そのときそのとき自分がどう動いたらいいのか、全体の利益を考えて冷静に計算するスポーツだと思いますが、それはコートの内外を問わないのですね。そして今表舞台の「存在感」を感じられなくても、その人の「存在感」を強烈に感じている人もいたわけです。

ウチのクロも時々存在感を消していることがあります。動物は時と場合に応じて存在感を失くすことができます。

先日の暑いとき、家中探してもネコの姿がみつかりません。
電気が消えた和室に洗い立てのパリパリシーツの息子の布団の上がしいてあって、そこにクロっぽい枕のようなものが見えたので近寄ると、クロが枕状になって寝ていました。