ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

桜・杞憂

2010-03-30 | 日記
桜の季節です。この時期は大体寒いのですが、今年はとりわけ寒いような気がします。
私のお気に入りの桜は、町で一番古い小学校の脇にある桜です。昨日、北風の吹く中、郵便局に行った帰りにその桜を見に行きました。
幹が黒くて、ごつごつと節くれだっていて、それだけでもかなりの年数を感じさせます。花の色は薄桃色というよりも白に近い色で、華やかさからは程遠い印象です。姥桜っていうのはこういうのを言うのかな、なとど考えていました。花は・・・そうですね、八分咲きぐらいでしょうか。
しばらく木の下から花を見上げていました。冬のような強い風が吹くのに、枝の桜の花びらはビクともしません。それぞれが房になって枝にしっかりつながっています。風が強いから花びらが散るわけではないことがわかりました。しばらく眺めていて帰ろうとしたとき、一枚だけ花びらが頬にくっつきました。たった一枚です。

帰り道、春先の花がたくさん咲いていました。連翹も、雪柳も、それぞれが強い風になびきながら、花弁を落とすことなく咲いているのを見ると、花びらが落ちるのは、外的な力が主な要因というわけではなく、花そのものの寿命なのだということがよくわかります。

当たり前のことなのに、桜の花が咲くと、やれ風が吹くと散ってしまうとか、雨が降ると、花がだめになってしまうとか、あれこれ心配していましたが、これはまったくの杞憂でした。散る時は散るし、頑張る時は頑張る。散るなと言っても散るし、頑張れといっても頑張らないこともある。満開の桜は時期が過ぎたら、たとえ咲いていても、風に吹かれてすっきり花を飛ばされたいかもしれません。花が散るのは、花自身の決めること、花に生まれつき備わった寿命であることがはっきりして、気持ちがすっきりしました。

ほんとにあれこれどうでもいいことで悩む季節ですね。もう桜の寿命で悩むことはありません。