ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

読み進めてフライデーまで

2014-04-26 | 日記
「ロビンソン・クルーソー」は、今、フライデーに信仰問答を施しているところです。金曜日に来たから「フライデー」という安易な名前をつけられた「バーバリアン」ば、語学センスも神学センスもともに優れていて、ロビンソンに鋭い質問を投げかけては、彼をうならせます。
たとえば、「かみさま、何でもできる。かみさま、せんそうだめ、わるいやつなぜすぐころさない?」
つまり「神が正義で万能の方なら、なぜ目の前の邪悪なものを見過ごされるのか」と言っているとわかったロビンソンは、神は私たちが悔い改めるのを待っておられるからだ、と答えます。
私が気になったのは、イギリス人のロビンソンが、「バーバリアン」のフライデーの変な英語を聞きながら、、未開の民に、真理を知らせねば!と、いつも上から目線で、信仰を伝授しているところです。
アンタ、そんな立派な人か!
父親の再三にわたる反対を押し切って、船に乗って漂流し、みんなに迷惑かけて生きてきて・・・・とロビンソン自身が、ときどき過去の自分を振り返って、恥じ入りながらそれでも信仰問答をしているところまで子供のころには読み取れませんでした。
しかし、どんどん読んでいるうちに、子供のころ自分がなぜこの話にはまったかということがわかってきました。
普通、これは少年が好む冒険物語のジャンルに入れられる話ですが、とても内省的な、日記文学、もっと言えば信仰告白と呼んでもいい話かもしれません。ロビンソンが、インクを節約しながら、その日にあったことを毎日日記につけたり、反省したり、来年の収穫計画をたてたり、そんなところが好きだったということに気がつきました。
作者のデフォーという人の経歴を読むと、ジャーナリストとしての才能、作家としての才能、ビジネスマンとしての才能にあふれていながら、死ぬ少し前に屋敷を出て、小さいアパートに引越し、そこで一人で死んだ、と書いてあって、なかなか興味深いと思いました。
いろいろな才能にあふれていながら、まだ足りない、まだ足りない、と追い求めていた人のようです。