ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

普遍化

2018-10-03 | 日記
先週、先々週はテレビをつけると、キキキリンが様々な形で出てきて、もう死んだ人なのに、影響力があるのだと感心した。
女優としての才能、不動産投資家としての才能、エコ実践家としてのユニークさ、不可思議な結婚生活、どれをとってみても抜きん出た才能の持ち主であったと思う。それを最大限に社会に還元して、是枝監督の弔辞にあったように
「普遍化」していった。普遍化にあたってのサービス精神も溢れんばかりだった。
キキキリンの死で、私が一番考えたことはこの「普遍化」という言葉の意味だ。「あまねくゆきわたる」仕組みはどうすればできるのか。もちろんキキキリンだけでは無理だ。テレビ、映画、インターネットという媒介を通して、私達はキキキリンについて知っているのであるが、そのようなマスコミを媒介として、たくさんテレビに出ている人でも、そういう人が全員「普遍化」できるわけではない。あんなに沢山出ていた人でも死んだらあっという間に忘れ去られてしまう人もいる。マスコミはその人を「普遍化」させる道具に過ぎないのであって、やはりキキキリン自身に普遍化させる仕組みがあったとしか思えない。