通称 山梨ZERO研究会 (旧OLぷー子 れきし文化荘203号室)

街に残る何気ない文化や歴史をぶらぶら探索追及。趣味と実益を兼ねたぷー子の日記です!

会の名称再考

2019年12月07日 | つぶやき・案内
久萬です。

昨日はご多忙のところお越しいただきありがとうございました🤗
報告書を刊行した後にもかかわらず、皆様からご意見いただけましたことに、大変感謝しております。
継続して調査を進めていければと思います。




さて!タイトルのとおり、研究会の名称ですが、かっちりしたものでいくのであれば、と考案したものが以下になります。

山梨or甲斐 ホニャララ 研究会or勉強会

このホニャララが重要かと思われますが、皆さんとの話の中で「今を生きる人々に直に繋がる歴史を解明したい」「調査成果を地域に還元したい」こういう思いがあるかな、と感じます。

ですので例えば
「山梨地域史研究会」
「山梨地域文化研究会」
「山梨地域考古学研究会」
このへんでいかがでしょうか?
山梨を甲斐に読み替えてもいいかもしれません。通称Kai Laboならなおさら笑

いかがでせう〜

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メモです

2019年10月25日 | つぶやき・案内
山梨ZERO研究会

モダン考古学研究会

ネオ山梨郷土研究会

伝統文化研究会

これからの山梨の考古学を語る会(通称ヤマコー)

山梨研究 ーthe beginningー (通称ヤマケン)

山梨EXIT研究会(イグジット:遺跡を愚直にじっくり取り扱う)

郷土研究をたしなむ会

巨山八都研究会(通称キョザンハット研)

BNAP(通称ぶなP:ブランニューアーキオロジーパーティー)


久萬

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台風19号と風土工学

2019年10月16日 | つぶやき・案内
台風19号。
犠牲、被災された方々にお見舞い申し上げます💧



山梨も、氾濫や犠牲者はなかったものの、生命線である中央自動車道や中央本線が土砂崩れのため寸断😞💦
いわゆる「陸の孤島」
少しずつ復旧してますが、江戸には駿河国、相模国経由で通ってる状態でシンドイばかり。

山梨の甲府盆地は、360°山に囲まれている地形的環境から、水との厳しい戦いをしてきた歴史があります。
この自然環境のなかで、先人たちは家族、生命、財産、田畑そして地域と仲間を守ってきました。
例えば、信玄堤はその代表的な遺構。

今回の台風で、氾濫が起きなかったのはたまたまかもしれません❗
でも、山梨県人が過去からの経験や教訓を活かして様々な政策と技術力を高めてきたのは、明治時代の新政府以来広く認められてきたこと。

つまり、山梨独自の災害から身を守る方法や技術があり、それもまた文化財。




こんな時、ふと思い出すのが、随分お世話になった竹林征三先生が提唱される「風土工学」

風土、文化、技術が調和し、そこに価値(誇り)を見出だし、地域づくりを融合させた方法論。
土木研究者ではありますが、強烈に文化財や考古学・歴史学を飲み込んだ、独創的な先生の研究テーマ。

溢れそうな川を見ながら、我々の調査研究は何処に立ち、何を見て言葉を発する必要があるのか。
浅はかに考え至らず、でも原点にちょびっと帰った一日でした。

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お邪魔します。

2019年10月08日 | つぶやき・案内
久萬さんに続いて、お邪魔してみた(仮)Hです。
顔がカザフスタン人に似てるらしいので、カザフの有名人ググって、
いや、gooってみたんですが、美人バレー選手くらいしか知らず・・


サビーナだから・・サヒーデ・・ 
 つまらん、いやぁ〜つまらん! それなら大滝秀治に??

とりあえず(仮)Hでしばらくそっとさせていただきます。


ではタグの件です。

私は「なぜその場所で人は生活したのか」という大きな研究テーマを持ってしまったが故、様々なことを考えながら日々を過ごしているわけです。
どこかで書きましたが、「ヒトが使おうっていう土地って、ほんとに遺跡じゃない場所ってあるの?」

発掘調査は様々なことを知る機会です。
歴史と文化を辿り、過去の立地環境を理解する唯一の方法と言えるでしょう。

そのために今すべきことは何か。
現場で何をみるべきなのか。
どのように観察して、記録すべきなのか。

毎回、情報を拐い尽くせたか、これまでやり残してしまったことへの自戒の念を忘れずに現場に立っております。



もう一つ、『甲府0層』の設置。
大きな画期となったのは、間違いなく甲府城廃城。これに伴い変化した城下町の影響。それはどこまであったのか?


なんてことを考えております。
次回はも少しわかりやすく、興味の持てる内容にしたいと思います。
よろしくお願いします。

仮 H
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がんばれ丸亀城 あの美しい石垣をもう一度

2019年08月14日 | つぶやき・案内


いつでも我々は応援しています
丸亀城 がんばれ
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