通称 山梨ZERO研究会 (旧OLぷー子 れきし文化荘203号室)

街に残る何気ない文化や歴史をぶらぶら探索追及。趣味と実益を兼ねたぷー子の日記です!

甲府市刀剣塚古墳

2019年12月02日 | 古墳
久萬です🙋‍♂️

甲府盆地のど真ん中に古墳(とされているもの)があるのはご存知ですか?

写真中央です。

甲府市西下条町にある、刀剣塚古墳です!
現地はこんな感じ


セブンのすぐ脇です。






今は稲刈りが終わったので古墳感がありますが、初夏、田んぼに水を張った頃はまるで湖面に浮かぶ島のようです👏😀

その名前からして、昔古墳を掘って刀剣が出てきたんだろうなあと思います(甲府市史にも書いてあったような)。
でも、中世の塚の可能性もありえます。なにせあんまりにもこの付近に古墳が残ってなさすぎる!🤮😂


とにかく、田んぼの中にとてもよい保存環境で残っています。こんなに貴重な地域資源なのに、看板一つないのは悲C〜😂

いつか立ち入り調査させてもらえないかなあ、、、なんて思ったりしてます😏

久萬
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中原塚屋古墳

2019年11月13日 | 古墳
久萬です。

甲州市中原といえば!


中原塚屋古墳という古墳があります(看板めっちゃ斜めっとるやん)。そういえば何ヶ月か前に行きました。

古墳の写真もあるのですが、ザ・民地のため、さすがに掲載はやめとこうかと思います。ほんとに、お家の真裏が古墳でした。(許可をいただいて見させてもらいました)。


なかなか残りはよいのですが、石室が少し傾いて崩壊の予兆があり、入るのはやめました。
そして石室奥には観音地蔵!今まさに関心のある穴観音の伝承をもつ古墳でした。


しかしここで疑問が
中原塚屋古墳の年代、6〜7世紀の古墳は、だいたい群集墳といって何基も古墳を造るのですが、どうやらここらへんにはこの1基だけのよう。
おかあさ〜ん!!事件ですよ〜〜!!

仲間の古墳はどこにいってしまったのでしょうか。そもそも仲間がいなかったのか?じっくり踏査、観察すれば今はマウンドが失われた仲間の古墳痕跡が見つかるのか?掘らなければ分からないのか〜〜??

うーん、気になり過ぎて今日も夜しか眠れませんな、、、。

久萬



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甲府市湯村山古墳群(久萬)

2019年10月20日 | 古墳
久萬です🙋‍♂️
ぷー子さんが怒涛の更新をするなか、しれっと古墳ネタを。


ひさびさに雨の降らなかった休日、行きたかった山梨の古墳に行ってきました!

場所は…


甲府市、緑が丘スポーツ公園の西側、湯村山という場所にあります。

この辺には、散策には結構いい古墳があるのですが、残念ながらあまり知られていません。



体育館の裏あたりから遊歩道が始まります




かなり整備されていて、ハイキングされている方もいました。

7分ほど歩きます





すると道端に突如古墳が出現!



いかつい!

この古墳、ちょっと分かりにくいのですか、なんと積石塚なんです。

※積石塚…普通の古墳が土を盛ることに対して、石を積み上げて造られた古墳の種類。日本では限られた地域にのみ見られ、山梨県の甲府盆地北部もその一つ。朝鮮半島に同様の古墳があり、渡来系氏族の墓とも言われる。



たしかに石で積んであるのが分かりますね。



石室はこんな感じ。
奥の部分だけしか残ってないのですが、埋まっている手前の感じからすると、6、7メートルはありそうです。

こんな状況でも、山梨の積石塚のなかでは、かなり残りのいい方です。

さらに山の中(獣道の方)に入れば、もう5基ほどあるようですが、奥さん一緒だったので控えました笑

さて、湯村山一帯はかなり石がゴロゴロしている印象を受けました。


これは古墳じゃなくて道端ジェシカです。

渡来人たちが造ったのかどうか、それはなかなか分からないのですが、
あえてこんな場所に造ろうとした。そんな意図をビンビン感じました🤩

ぜひ行ってみてください〜

久萬

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グンマー歴史探訪・後編(久萬)

2019年10月08日 | 古墳
さて、後編いってみましょう。
といってもいくつか見たなかで厳選してもう1基だけ(笑)

同じ藤岡市の伊勢塚古墳を見てきました。

あ💦古墳の外側の写真、人の写っているものしかない!

見た目は平凡なそんなに大きくない円墳なのですが、、、

その中身(横穴式石室内部)は!



なんじゃこりゃ!

これは!





いわゆる模様積みと呼ばれる石室です。
いや、これほんとにすごいんですが、写真ではあまり伝えられない悲しみ。

古墳の造られた時期は6世紀後半から7世紀初頭。
この模様積みで造られる石室は、群馬南部から埼玉北部にかけての非常に限定された範囲になります。
すべて河原石で、小さな石に大きな石をまるで散りばめるように積んでいます。そして平面プランは胴張り、天井に向けて持ち送りの構造なのです、、、。

これで1400年間崩壊していないのだから驚きです。
いったいどんな技術なんでしょうか。

模様積みの石室は、ほとんど見学が不可能なのですが、一番綺麗な伊勢塚古墳は県指定史跡として見学可能です。
個人的には特別史跡クラスかと思いま

群馬県藤岡市にお立ち寄りの際には、ぜひ古墳に目を向けてみてはいかがでしょうか🤩

それではまた!
久萬
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グンマー古墳探訪・前編(久萬)

2019年10月06日 | 古墳
どうも、クンマーです。

10月5日、某研究会の史跡めぐりバスツアーで群馬に行ってまいりました。
群馬といえば古墳時代の東日本で最も栄えていた場所でした。今では信じられないですね。

そんな群馬の古墳を少しだけ紹介。


今回行ったのは群馬県南西部の藤岡市と旧吉井町。

藤岡市でもっとも有名?関東でも古墳研究者内ではかなり有名?な七輿山(ななこしやま)古墳を見学しました。


これはデカい!てか天気が良い!

全長150mの前方後円墳で、6世紀前半の築造です。手前が後円部。
この時期といえばそう、継体大王(この時期はあえて天皇とは書かないことが多いです)の時代に造られました。その継体さんのお墓である大阪の今城塚古墳と、形が相似形とも言われています。
この時期になるとだんだんと大きな前方後円墳は造られなくなっていくので、時期的にはやはり東日本で最大級となります。

最近、古墳はレーダー探査が行われ、大きな横穴式石室が古墳の中に埋まっているだろうことが、ほぼ確定したそうです。


もはや山ですな。

まだまだこれから調査を続けていくようなので、楽しみですね。

後編に続く(cv.キートン山田)

久萬

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