建立年は不詳。
甲府藩主柳沢吉里の時代、明細帳(正徳3)によれば社領高二石三斗五合寄付
最初は白山権現として祀られたとはあります。
その後、慶応3年に柏原神社となったようです。
享保九年正月正一位になってます。
修理は、延宝九年六月神殿再建、寛延三年十一月再殿再築されてます。
この辺りは平安時代末の三枝氏に関する伝承があり、居館推定地となる地名もたくさんあります。
三枝氏は甲斐源氏が発祥する以前、大和朝廷から甲斐に派遣された国守級の在庁官人の出身で『日本書記』や『続日本後記』に三枝直平麻呂の名が見えます。
三枝氏は甲斐の古豪族で郡司や東海地方の守護になっていきます。
昭和37年に、甲州市勝沼の柏尾山で1103年(康和5)銘の経筒が発掘されました。
銘文から大善寺(国宝)の大檀那三枝宿禰守定・守継、藤原朝臣基清らが経筒の埋納者であることと、埋納経過も記されてます。
いまは、葡萄や桃、温泉と自然豊かな観光地ですが、実は平安時代からの長い歴史をもってる地域でもあります。