涙と笑いのHIV奮闘記

自分とは無関係と思っていた病気と思いがけなく向かい合い、闘病を続けるオヤジの日記。
仕事に趣味に彼氏との生活に奮闘中。

淀屋橋から中ノ島へ:独りで散歩

2007年05月20日 | 外出・旅行


バラ園の薔薇

今日は一日良い天気でした。
以前付き合っていた人と待ち合わせて陶磁器の美術館に行ってきました。
この人とは恋人関係を解消したあとも、何かとお付き合いがあります。
一緒に歌舞伎に行ったり、文楽に行ったり。
今の彼と三人で一緒に紅葉を見に行ったこともあります。

やじは近鉄で難波まで出て、そこから地下鉄で淀屋橋へ。

  地下鉄淀屋橋駅の床です。
タイルがなんか変でしょ?
大学の臨床心理学の講義で習ったのですが・・・
この駅のタイル一枚ずつ上下逆に貼ってあるのですが、他の駅ではみんな同じ向きに貼ってあります。
そのせいで床が波打っているように見えませんか?

講義で習う前、この駅に降り立つとなんだか変な感覚におそわれました。
講義を聴いて納得した覚えがあります。

駅を出て会場を目指します。

うっ、まぶしい!
持ってきたサングラスをかけて、会場へ向かいました。

  土佐堀川。左が中ノ島の大阪市役所です。

堂島川。右が中ノ島です。 

中ノ島は二つの川に挟まれた島です。
大阪が経済の中心だった頃、このあたり(正確にはもう少し北西の堂島)には米の蔵屋敷が立ち並んでいました。
堂島の発達は江戸時代の代表的な豪商である淀屋が北浜で開いていた米市場が、
元禄年間に対岸の堂島(大江橋北詰)に移されたことにはじまるそうです。
全国より廻送された米が取引きされた「堂島米市場」として発展し、
これが後に世界初の近代的な商品先物取引が行われた「堂島米会所」となりました。
堂島に廻送された年貢米は年間100万石とも150万石とも伝えられ、
それらを保管する倉庫と屋敷を兼ねた諸大名の蔵屋敷が建ち並んでいたといいます。

国立病院機構大阪医療センター(やじのお世話になっている病院)の前にある歴史博物館で、
その当時のジオラマを見ることができます。

  

中央公会堂です。
明治時代の終わりに北浜の風雲児、相場師の岩本栄之助が父の遺産と私財をあわせて寄付してできたものです。
完成したのは大正に入ってから。
その岩本栄之助は第一次大戦による相場の変動で大きな損失を出し、公会堂の完成を見ないまま亡くなったとか。

ネオ・ルネッサンス様式で建築されています。
そういえば、松竹座もそうかな?

写真を撮る人、絵を描く人。

元カレがやってくるのを風景を楽しみながら待っておりました。



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2 コメント

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Unknown (Shzizi)
2007-05-20 22:39:39
大阪の地図を広げて、今日の日記を読みながら、研究してました。とてもよく分かったような気がしました。

確かにいいところに病院がありました。やじさんが病院から抜け出していろんのところに行けたのもうなずけます。

毎月の診察は奈良から大阪の病院まで出てくるのですか?
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そうです (やじ)
2007-05-21 00:04:20
>Shziziさん

中ノ島には市役所のほか、日本銀行大阪支店、フェスティバルホール、朝日新聞ビル、住友ビル、三井ビル、関電ビル、国立国際美術館、市立科学館、グランキューブ大阪、住友病院、リーガロイヤルホテルなんかがあります。
今は国際美術館でベルギーの絵画展をやっているので観に行ってみたいです。市立科学館のプラネタリウムはやじのお薦めです。

奈良から病院までは近鉄で生駒まで行き、そこから地下鉄中央線で谷町4丁目で降ります。乗り換え1回です。車だと第二阪奈道→阪神高速ですが、朝のラッシュがすごいので、大抵は電車利用です。1時間かからないですか。大抵9時半の外来ですから、部屋を出る時間は普段と変わらないんですよ。
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