現在歌舞伎座では「歌舞伎座さよなら公演」が毎月おこなわれています。
劇場の前にはカウントダウンを示す掲示板が。
歌舞伎座公演もあと328日で終わりのようです。
昼の部
昼の部の出し物のメインはなんといっても仁左衛門一世一代の「女殺油地獄」ですね。
仁左衛門の「女殺」は、過去に二度観た覚えがあります。
一番最近いのは、そう、2007年の大阪松竹座。
海老蔵が河内屋与兵衛を演ってちょっとがっかりな出来だったわけですが、
その後海老蔵が怪我をして彼がその代役に立った時ですね。
急いで観に行きました。
その前は歌舞伎座で。
そうそう、愛之助&亀治郎でも観たことがあります。
もともと近松による浄瑠璃で、文楽ではしばしば演じられていますね。
仁左衛門は1964年、(やじの生まれた年)、に大阪朝日座(もう今はありません)にてこの役を初演。
以来何度もこの役を演じてきていて、もうこの河内屋与兵衛をやらないつもりだったようですが、
「歌舞伎座のさよなら公演だから」ということで一世一代で演じることになったそうです。
仁左衛門が河内屋与兵衛、息子の孝太郎が豊嶋屋お吉、孫の千之助がお吉の娘お光をするという、
親子三代が出演する舞台となりました。
後は、幸四郎、吉右衛門兄弟による「双蝶々曲輪日記」の「角力場」。
実はやじが始めて観た歌舞伎は昭和最期の南座の顔見世興行。
その時にかかったのが「双蝶々曲輪日記」の「角力場」と「引窓」。
その時は濡髪長五郎を富十郎、放駒長吉を我當、つっころばしの与五郎は秀太郎、吾妻は家橘でした。
「引窓」では南方十次兵衛を扇雀(現藤十郎)、お早を故宗十郎、おかやを故上村吉弥でしたね。
二人も亡くなっている・・・
「双蝶々曲輪日記」もよく文楽では出ます。
20年ほど前の秋の国立文楽劇場公演に「「双蝶々曲輪日記」と「「双蝶々曲輪日記」が出たことがあったっけ。
夜の部
夜の部のお薦めはなんといっても、幸四郎、染五郎、金太郎親子三代競演による「門出祝寿連獅子」でしょうか。
幸四郎の孫であり、染五郎の息子である斎ちゃん(四歳)が今回四代目松本金太郎を襲名しました。
幸四郎・染五郎、勘九郎・勘太郎の親子二代の連獅子は観たことありますが、
親子三代の連獅子は初めてでした。
勿論金太郎はまだ四歳ですから、上手い、ってわけではないのですが、
こうして歌舞伎は脈約と繋がってゆくんだな~と感慨深く観ておりました。
勘太郎も結婚したわけですから、
近い将来、勘三郎家の親子三代の連獅子を見ることができるかもしれません。
そうそう、吉右衛門仁左衛門出演の「幡随長兵衛」も良かったですね。
自分はけっこうこの劇中劇の場面が好きなんです。
今回坂田公平を歌昇が演っていましたが、今まで観たのはいつも団蔵でした。
劇中劇におこる酔っ払った奴によりハプニング、
それをなだめるも治まらない為にその奴を劇場のモンが排除したところ、
それをとがめて乱入してくる奴の主の武士、
そしてそれを仲裁しようと、実際の客席の中を通って現れる長兵衛。
いいですね~。
でも、はっきり言うと、この「幡随長兵衛」も次の「梅雨小袖昔八丈」(髪結新三)も、
関西人のやじにはちょっと共感できない出し物です。
髪結新三なんて、江戸っ子言葉で、「火をかしてください」のことを「し、かしてくれぃ」って言いますもんね。
上方では「ひぃかしておくれやすぅ」って言います。
とかなんとかいいつつ六月のお芝居を堪能してまいりました。
でも残念なのは終演が21:25。
21:20東京駅発の最終のぞみに乗らないといけないやじは、
21:12ギリギリまで観て、
歌舞伎座の北側からタクシーを飛ばして東京駅へ。
ホームに着いたところでドアが閉まる直前という状態で帰ってきました。
新幹線の中でこの記事を書いております。
それにしても、「劇場内では携帯電話はマナーモードに設定の上電源をお切りください」と何度もアナウンスされているのに、
上演中あちこちで着信音が鳴ったり、アラームが鳴ったり、バイブの「ブルブルブル」ってのが聞こえてきたり。
なんだかな~。
「女殺」は三越劇場で獅童のを観たのですが、ちょっと「‥」だったんで、今回は何とか行きたいと思ってます。
「一世一代」ですもんね。
次は適度な時間で帰って下さいね。
それがこれでし納めですから、観ないわけにはいけませんよね。