10/28の羅城門橋へのサイクリングの続きの記事です。
先日平城宮跡資料館での秋期企画展「地下の正倉院展 コトバと木簡」を見てきたのですが、
そこでは日本語をいかにして漢字で記すか、奈良時代の人々が苦労したことが展示されていました。
平城京には各地から様々なものが送られてきたのですが、
そこには荷札として「木簡」がつけられています。
たとえば若狭国から送られてきた鰯の干物の荷札には「鰯」と書いた木簡もあるのですが、
「伊和志」と書かれた木簡も。
同様に、サメは「佐米」、イカは「伊加」、ナスビは「奈須比」などと。
では、まだ文字が無かった時代は・・・
様々な伝説は口承で伝えられていたそうです。
その代表的なものが「古事記」。
「日本書紀」のような正史ではないのですが、古事記の神話の部分は誰でも一度は読んだことがあると思います。
天照大神の天岩戸の話、
素戔嗚尊の八岐大蛇退治の話、
因幡の白兎話
海幸彦と山幸彦の話
古事記は天武天皇の命により、稗田阿礼が暗唱していた伝承
…歴代天皇の実績、建国以来の歴史・神話・伝説・歌謡など…
を太安万侶が書き記したものとされています。
ちなみに太安万侶のお墓は奈良市の東部にある此瀬町の茶畑の中にあります。
さて、稗田阿礼をお祀りしているのが稗田環濠集落の南にある賣太神社です。
羅城門橋から南下すること数キロ、自転車で10分ほどで稗田環濠集落に着きます。
この神社の主斉神が稗田阿礼命。
副斉神は猿田彦神と天鈿女命。
猿田彦神は天孫降臨の際、道案内をした神様。
天鈿女命は天照大神が天岩戸にお隠れになったとき、その前で舞踊り、大神を引き出した神様。
境内に足を踏み入れると「かたりべの碑」。
そして手水があり、ここで手と口を清めます。
その後本殿へお参り。
本殿の横に回ってみると、こんな冠(?)が落ちていました。
本殿向かって右側には狛犬と小さな祠。
そしてその後ろには小さな祠。
赤い実をつけた低木があちこちに。
そのほかにもいろいろな花や実が生っていて、樹の枝に蝉の抜け殻。
ではこの後稗田環濠集落をぶらりとしてみます。
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