カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 46 「復活節第二主日」

2008年03月29日 | 神父様からメッセージ(C年)
イエス様のことを愛される皆様へ

菊池教会の桜も次々に開花して、空がピンクに染まっています。教会もピンクの雲の中に包まれているような姿で、雲の中で復活されたイエス様が立っておられる様を思わせます。 まだまだ沢山の蕾が時折の寒風に開くのをためらっていますが、満開になるのもそう遠い事ではないでしょう。
  さて、わたし達はまだ復活の八日間の間イエス様が復活されて現れた出来事の、復活されたイエス様の姿、弟子達が見た事、イエス様と弟子達との出会いなどを、まるで美味しいケーキの香りのように、花畑の美しさのように味わっています。
 復活を知らされ、恐れながらも大いに喜ぶ婦人達に、イエス様は「おはよう!」とおっしゃっています。つまり言い換えれば、私はいつでも早く来てどこででもあなた達のことを待っていると知らせたのです。その存在に気づいて泣いていた婦人達は近寄ってイエス様の足を抱き、その前にひれ伏し大きな喜びを味わいました。 一方、エマオの方に歩く使徒達も大いに悲しんでいました。けれども、道の途中見知らぬ人から、聖書の言葉によってイエス様が復活されたことを説明された時に、彼らの心が燃えていました。最後に、宿でイエス様の姿を見い出した時、彼らの心は喜びで溢れました。そして弟子たちに現れたイエス様は、自分が普通の人のように肉と骨をもっている人間だと、それだけではなく弟子達と一緒に食事も望まれると明らかにされました。つまり、復活されたイエス様は亡霊のようなものではなく、むしろ弟子達と一緒に生きておられるものだと明らかにされました。それを知った喜びは弟子達の人生に及んで、生き方まで変え、皆にその喜びを告げ知らせました。
  最後に復活節の第二主日の福音書の内容ですけれども、何でもすぐには信じがたいトマスと言う弟子はイエス様の復活、つまりイエス様が生きておられることを信じなかったのですが、イエス様が弟子達に現れた時、トマスにもご自分の体、ご自分の傷跡を見せ、触れるように勧められました。それによってトマスは信じました、けれどもイエス様がその時に強調したのは、復活されたイエス様の姿を見ないで信じた者は幸であると言うことです。同時に、わたし達は復活されたイエス様を信じる時に本当の幸せ、永久の幸せ、いつまでも大きな喜びを味わうものであると宣言されました。              モヨリ神父

《お知らせ》
† 毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、イエス様のたとえ話の勉強会 があります。信者でない方でも参加ができます。