カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 B年 主の洗礼の主日 

2009年01月10日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

正月、神にそなえるため丸く平らに作った大小二個の重ね餅を、古い時代の鏡は円形であったことから「鏡餅」と言います。又、正月11日ごろにこれを下げて、家庭で雑煮や汁粉にして食べる習慣を「割る」「切る」などの縁起の悪い言葉をさけて「鏡開き」と言います。
教会の典礼では、降誕節とその中のイエス様の公現を締めくくる日曜日を迎えることになりました。それは「主の洗礼」です。この時、イエス様に従うようになった信者たちは自分の洗礼とその時の感動を思い起こします。その時から、私たちの心の中に贈り物のように聖霊が入り込んで教えるようになったことはたくさんありました。私たちは神の子となり、私たちの人生は神様の愛の証しになっているのです。
使徒ヨハネの手紙5・1-9
親子の関係、特に父親と子供の関係はいろんな文化や時代の詩の中で例えられていますが、聖書のなかでは、特別に神様と人類との関係が普遍的な親子(父と子)の物語として語られるようになりました。使徒ヨハネは私たちのことも親子のつながりとして感動を語ってくださいます。イエス様に従う者たちは神様から生まれたもので、神様の愛に特別に包まれています。その愛によって、親子となった関係の中で、それを大切にすれば、私たちの生き方はその愛の答えとなります。神様の愛に応えるためにまず神様のみ旨、神様の希望、(掟)を守ることです。神様の掟を守るなど難しいことと思われるかもしれませんが、そうではありません。愛する人の希望を受け入れることは、人間関係の中でも一番やさしいことではありませんか。同じように神様の希望を守ることは、軽い重荷ではないでしょうか。私たちが与えられた人生の中で、神秘的な出来事を気付くことはたくさんありました。それは神様の愛が私たちの中に「霊」として止まり、気付かせてくれるからです。この世に神様の心を語るために来られたイエス様は、真理を語り、自分の死と復活により私たちに神様の愛を身近に証しました。
マルコによる福音 2・7-11
洗礼によって私たちはイエス様と一つになりました。そのとき天から下った言葉は今日私たちに直接向けられています。「あなたは私の愛する子・・・」と言うこの言葉によって、私たちは父である神様の子なのです。それは私たちの理性で知ることではなく、大きな光で天から幕を取り除いた聖霊から知らされた真実であり、私たちにとって素晴らしい恵みとなっています。そして「・・・私の心に適うもの」という言葉は、イエス様の人生、死と復活に当てはまっていますが、洗礼によって聖霊で満たされた私たちにも当てはまっています。洗礼(水と霊)によってイエス様と一体となった者、つまりキリスト信者は、神様の心を果たすために生きています。人生のその一瞬一瞬を神様から頂いたものと思い、それを大切に感謝を現わしながら、神様の愛の証となるのです。そしてイエス様とともに同じ運命に向って神様のふところに戻るのです。このようにイエス様に従った者たちは、この世の価値観に勝っています。                       モヨリ神父

*【注目】
毎月の第1と第2の木曜日、午前10時から信徒会館で、
聖書による勉強会「使徒言行録の朗読と解説」があります。