カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
菊池教会の電話:0968-25-2381

毎週の一言 B年 年間第三十二主日

2009年11月07日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

11月8日頃は冬の季節に入る最初の節季で、日差しも弱くなり冬の気配が増します。朝晩冷え込み、大地は凍りはじめます。霜は熊本の平地ではこの頃、阿蘇などの山間地ではそれより早く降ります。田の隅の籾殻(もみがら)また散らばったわらくずの上や草、そして屋根などに降りているのを見ると、冬の到来を実感させる自然の美しさがあります。さて、鴨にはいくつかの種類がありますが、湖沼、河川や海で見られる渡り鳥で、秋にやってきてつがいをつくり、春に北方の繁殖地に帰ります。群棲しその中に見張り役がいるといいます。「初鴨」とは4~5羽のグループで渡ってくる一番手の鴨をいいます。また11月は死者のことを思い偲ぶ月になっています、永遠の命を讃えるキリスト信者にとっては悲しむ時ではなく、むしろ亡くなられた親類とお祈りの中で新たなつながりを築くようになります。すでに天国におられる私たちの身内やご先祖様は私たちを見守っていて、私たちが彼らとお祈りの中でつながり、ずっと一緒に神様の懐にいることができます。キリスト信者には天に神様が備えられている住み家があるので、死は体の滅びではなく新たな命への門であります。
このような思いの中、カトリック教会では憐み深い寛大な心によって、信者で無い方でもお葬式を執り行う事ができます。わずかな献金で、事情があって教会でお葬式を希望される方の願いに心から応えることができます。
マルコによる福音12・38-44
神様はルールを守る人自分の努力を自慢する人よりも、人の心を見て評価します。当福音書は真の信仰の道について話してくださいます。ファリザイ派の人たちは自分の行いの表面的な結果を探し求めていますが、福音書に出てくる未亡人は神様が好む心をみせてくれます。イエス様が人の様子に注目されていました、大勢の人はあり余る中から献金していましたが未亡人は「すべて」、自分が生きるための持っているもの全てを神様に捧げました。イエス様は特別にこの未亡人の心を喜ばれ尊まれています。イエス様はご自分の言葉の力を通して皆に向かって、ファリザイ派の人々の考え方に注意するように言われています。当時のユダヤ人の学者たちが論争したようにイエス様も人のやり方を比較します。登場する人物のふたつのタイプとも、神殿で神様に献金を捧げていたのですが心の態度は完全に違います。自分のやったことを自慢しながら、人の注目を求めて、それと知らずに神様を侮辱しているのがファリザイ派の人の行動でした。
反対に未亡人は心の自由な、財産から縛られていない心を示して神様に自分の貧しさを捧げものにします。未亡人は神様に対して大きな感謝の心をもって自分の弱さの中からすべてを、自分の命でさえ神様に捧げます。このように行動を比較しながらイエス様が今日も私たちにより深いことを教え続けています。はっきりと私たちにも、神様がどのような心を好むかを教えてくださいます。
                           モヨリ神父