カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 C年 年間二十三主日

2010年09月03日 | メッセージ(その他)
イエス様のことを愛される皆様へ、

「すべての愛を神への愛のみ栄えのためにささげること、これが真に神を愛する人のしるしです。」
聖フランシスコ・サレシオ
昼間は残暑が厳しく、辺りはまだ夏のたたずまいのままですが、夜が次第に深くなるとどこからともなく忍び寄る秋の気配。そのような晩夏の夜の秋めいた気分を「夜の秋」といいます。ことに夏が厳しい菊池では暑さからやっと解放された「夜の秋」にわが身をそっと預けておきたいひととき。秋の間近さを思わせる夏の季語です。しかし残暑は続きます。立秋は8月8日ごろですが暦の上での秋の始まりは、まだ暑さのもっとも厳しいころで、9月の中旬になって、ようやく涼気を覚えるようになります。そこで立秋から彼岸ごろまでの暑さを「残暑」と呼んでいます。
さて、ヨーロッパの伝統的な思想では、人の心の中に価値観の階段を作るように目指します。つまり何より大事なことは皆の心の中に欠かせないものがあって、まずそれを探し求めるように勧められています。たとえば、階段の最上階に立つのが愛だとすれば、家族の愛、友人の愛が優先され、その後社会的な義務、次に仕事などと続きます。それとは違って豊かな心をもった日本人にとって、このような価値観は築きにくいと思います。なぜなら、日本人の心の中には何が一番大切だと決めて求めるよりも、宇宙のような心の中に沢山の素晴らしいことの順番を並べるよりも、素晴らしい出来ごと、社会の平和、家族と集落の行事、大自然の現象、美の調和等を全て組み合わせて探し求めています。日本のキリスト信者にとっていらないものは一つもありません。全て組み合わせて、心の豊かさを示しながら神様の素晴らしさを表します。このような心を持ったキリスト信者も、イエス様に出会って、イエス様に従う方法をより深く考えていきます。
ルカによる福音書14・25-33
イエス様を信じて従う事は、神様の大きな贈り物です。その贈り物をいただく心が必要です。その受け入れる心がまえには形があります。身内より神様を愛する心、イエス様と一緒に十字架を背負うのを怖れない人、自分の持ち物より神様を大切する人です。確かにキリスト信者でも、完全に完璧にイエス様のおっしゃる言葉を受け入れてもなお、その通りに生きることは出来ません。しかし欠点のあるままで、あいまいな思いのままでも、イエス様がおっしゃる言葉を理想にしてそれを目指していきましょう。
今日の典礼の中でもイエス様に従う為に、特に人間にとって実現しにくいことが記されています。それは、自分にとって一番大切なものを拒否すること、自分の持ち物を横に残すこと、自分のアイデンティティを最後まで保つことです。当福音書にはイエス様が大変厳しい言葉で、自分に従いたい者たちに、当時の表現を用いながら厳しい選択を(身内を憎むことまで)迫っています。実際にイエス様が何をおっしゃっているのかを少し深めてみましょう。イエス様は、どんな人間観関係の中でも神様との関係を優先すれば、全ての調和である神様の愛の中に、人間の愛と人間関係を包んでくださるということなのです。イエス様の十字架をイエス様と一緒に運ぶのは、イエス様のご受難の苦しみを一緒に背負うことになり、その苦難を乗り越えることです。場合によっては信仰の厳しさを運び続けることです。最後に人間は素晴らしい神様の作品ですから、この世の物理的なものにとらわれてはいけません。イエス様を信じる者たちは、いつも自由な心をもって何ものにも縛られることのないようにして、イエス様にいつでもどこででも、従うのです。
                                     モヨリ神父