カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 B年 待降節第三主日

2008年12月13日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ

「山眠る」葉も落ちつくし枯れ色に静まった冬の山が私たちの目の前に広がっています。「冬山」毅然として静かな山のたたずまいを現わす語彙は多いのです。又、稲刈りの終わったあと、何も作らずそのままにしてある田圃を「冬田」といいます。冬の間、霜や氷や雪にあいながら、地力を回復させ春の耕作に備えています。
キリスト信者は日に日に心躍らせながら、救い主の到来を待ち望んでいます。来られるイエス様は私たちの心の鈍さと体の弱さを癒し、私たちの過ちを赦してくださいます。そして私たちの間に、すでに神の国が存在することに目を覚まさせてくださいます。真冬の間、昼が短く暗い時間が多くなり、人間は光に憧れています。イエス様は私たちの人生の暗闇に来られる救いの光です、だから今日、私たちの心は大きな喜びで満たされます。キリスト信者の望みは素晴らしい光に満たされ、大きな喜びを味わっています。
使徒パウロのテサロニケの教会への手紙(Ⅰ)5・16-24
使徒パウロはテサロニケの信者に、大きな情熱で神様の望みを伝えています。祈るように、喜ぶように勧めています。感謝の心で生きることです。聖霊で照らされた私たちの人生を、いつも良い事で、肯定的な思いで満たさねばなりません。そのようにすることで神様の心を現わせます。聖霊がイエス様に従った者たちの中に宿っていますから、使徒パウロは彼らに対してご自分の書簡に於いて大きな尊敬を現わし、聖なる者、聖人、神に選ばれた者などと呼んでいます。そして使徒パウロは神様に招かれた者たちに、いつもイエス様に反する思いや行いをしないように願い、いつも神様の思いのままに生きるように勧めています。そうすることによって、来られる光である救い主は私たちの人生を豊かに満たしてくださいます。
ヨハネによる福音書 1・6-8、19-28
ヨハネの福音書の当節は洗礼者ヨハネの姿を描きながら、実はキリスト信者の姿を紹介します。洗礼者ヨハネは「証し」とよばれていますが、ラテン語でこの言葉は「マルチレス」と訳されています。キリストにつながった者はイエス様の光の証であり、イエス様自身の姿を現わしています。そして当個所では洗礼者ヨハネに向けられた質問に特に注目してください、イエス様に従った私たちにも同じ質問が向けられています。洗礼者ヨハネと共に答えるようにしましょう。「あなたはどなたですか」と聞かれた時に洗礼者ヨハネと一緒にキリスト信者も、自分はメシアではなく、予言者でもなく、素朴な立場に立ってイエス様が来られる道を準備している者だと答えます。この世に洗礼者ヨハネと同じように、キリスト信者も神様に遣わされて、神様が宣べる言葉の声になり、神様の方に導く道をまっすぐにする役割を持っています。ヨハネから洗礼を授かるのは、キリスト信者にとって意味深いしるしになっています。イエス様に従った者たちは洗礼によって聖霊で満たされて、この世のどんな人にも来られるイエス様の、心の証人になっています。                  モヨリ神父            
                                   

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1 コメント

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A年 待降節第三主日 (神父)
2008-12-13 12:53:26
イエス様のことを愛される皆様へ     2007.12.15(土)NO。34  

12月の中旬になって、驚くほど寒さがやわらぎ過ごしやすいと喜びつつ、昔の厳しい冬を思い地球温暖化の影響を考える人たちも多いかと思います。
さて、わたし達の降誕祭への準備はこの待降節の第三主日によって喜びの中で始まりました。 わたし達にとって、待降節はイエス様の到来を期待することですが、イエス様は確実にわたし達のところを訪れてくださいますから、神の国が近づいていると言う意味でも大きな喜びとなっています。 今日のミサの典礼ではその為に喜ぶように勧められています。 感謝の祭儀をたてながらわたし達は心の中で深く大きな喜びを感じ、それを祝うようになっています。典礼のことはキリスト信者にとって、その意味で心の中にある神秘的な思いを祈り、言葉、儀式を通して祝うことになっています。 わたし達に大きな喜びをもたらした救いの出来事を思い起こして、つまり記念して、その喜びを神様に感謝しながら、又周囲の人と共感しながら、お祈りの中で祝うことです。それは典礼の意味で、わたし達は毎回、教会で典祭する時にこのような素晴らしい行事を行っています。
又、今週の木曜日(13日)は聖ルチアの記念日でした。ルチアと言う名前はラテン語からルクス「LUX」:光を意味しています。実は聖ルチアは盲目にされて、殉教されましたが、それによって光の象徴的な保護者となりました。ヨーロッパでは、聖ルチアの姿は頭にろうそくの冠をいただいた姿で画かれています。さて、降誕祭へ向っているわたし達は聖ルチアの取り次ぎを願って、大きな光で人の心を照らすように祈りましょう。 光はイエス様です。 今度、来られるイエス様は世の光です。
待降節の第三主日の福音書については、イエス様を出迎える準備をする洗礼者ヨハネが、疑う心をもつ人に答えています。 まず、イエス様に弟子達を送って尋ねさせます。「来るべき方はあなたでしょうか?」その時、イエス様はご自分の計画、目標、使命を明らかにされます。そのカファルナオのシナゴーグでも宣言されたように「目の見えない人は見え、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」と答えてくださいます。
降誕祭の時、救い主を期待するわたし達にとって心の中で大きな光を見出すようになりました。救いは見えること、聞くこと、喜んで生きること、良いメッセージで支えることとされ、それは救い主であるイエス様ご自身のことです。
だから喜びなさい、主が近づいておられます。わたし達の救い主は到来しています。その到来は最終的なイエス様の到来をも示しています。その時こそ、神の国もわたし達の方に近づいるのです。不自由な人、迷っている心、疲れたものの為に、大きな希望の時になっています。喜びましょう。
今日典礼の中で色々な多くの疑いを乗り越えることが出来ますから、イザヤや預言者達にも勧められたように喜びましょう。
                         モヨリ神父
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