カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 1 - 28 (A年 - 年間第二十九主日)

2008年10月18日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、
序文
寛永十四年 (西暦1637)の「天草(島原)の乱」は百姓一揆、籠城、宗教一揆となり翌年に攻落されました。天草にある「千人塚」は当時の殉教者を供養したものです。十月第四の日曜日に天草の殉教公園で「殉教祭」が行われます。キャンドルを灯した白いベールの列が坂を下り、激戦の場となった紙園橋へと至り美しい聖歌の響く夕闇の中、祈り集う人々の敬虔な姿を誰でも見ることができます。このような出来事を振り返ることは日本の教会の心が大きく燃え上がる機会になり、一人一人の信仰もまた燃えてきて支えられます。殉教者たちは私たちの信仰の種であり、大きな人生の理想になっています。そして今日、私たちは世界の宣教の日を迎えています、教皇様はご自分のメッセージの中に次の言葉を述べられています「教会はまさに福音を宣べ伝えるために存在しています」
使徒パウロのテサロニケの教会への手紙 1・1–5
今日の第二朗読では私たちの手紙の書き出しに比べて、羨ましくなるほど素晴らしい最初の挨拶がテサロニケの信者のために記されています。このような聖パウロの手紙の挨拶は、キリスト信者のための手本になっています。この挨拶は大いに聖パウロの心を現わしながら、同時に聖パウロのテサロニケの信者への深い思い、やむにやまれないメッセージを含んでいます。キリストに結ばれた者は神様の恵み、心の平和の中で生きています。信者である私たちも、人に何かを差し出そうとした場合、上記のような神様の贈り物が一番素晴らしいものです。聖パウロはテサロニケの信者たちに心をかけながら、キリストの信仰によって自分の兄弟として思い、信仰のために働き、愛のために労働していることを誉めます。テサロニケの信者たちは、信仰と愛の中で生きることによって父である神の心の中に留められて、神様に特に愛されているのです。聖パウロは私たちのためにも参考になることをもう一言伝えています。それは福音を宣べ伝える時に、言葉だけではそれが人の心に残らないことがあります、ですから聖パウロがやったように私たちも力や聖霊の光によって、福音的な生き方によって、キリストの心を伝えるならテサロニケの信者と同じように、誰でも神様の心を見出すことができます。
マタイによる福音書 22・15-21
イエス様の言葉を信じることになった私たちは、その言葉によって気づくことが沢山ありました。今日はイエス様が普段気づかない真実に眼が覚めるように仕向けてくださいます。宗教の世界、社会の世界は私たちにとってどのように見えているのでしょうか、対立し区別されているのでしょうか、宗教と社会、信仰と政治、心の中身と物理的な世界の区別と判断を、イエス様の言葉に基づいて考えてみましょう。まず、イエス様がおっしゃる通り、税金を皇帝に返すことを考えましょう。イエス様がおっしゃる通りだれにとっても社会的な義務、役割、責任があります、それは果たすべきです。それによって、社会の平和と調和を求められます。宗教的な世界は社会的な世界に対立してはいませんが、むしろ神様の光で照らされた人間はどこでも、どんな時でも一番いい方法を探し求め、それは暮らしの原動力になっています。神様は私たち一人一人を心から愛されて私たちを神様の似姿に造られていますから、私たち自身、そしてこの世界も美しく神様が作られたままに返さなければなりません。イエス様と一致することによって、神様に私たちの素晴らしい人生を返すことが出来、神様の栄光となるのです。
                                    
モヨリ神父

*【注目】毎月の第1と第2の木曜日、午前10時から信徒会館で、
聖書による「イエス様のたとえ話と奇跡についての勉強会」があります!

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1 コメント

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C 年 29主日 (神父)
2008-10-18 15:20:45
イエス様のことを愛される皆様へ、

一日の明るい時間が少なくなっても、朝夕冷え込んできても、秋の色、秋の楽しみ、秋の素晴らしさは心にすっと伝わってきます。わたし達は、努力しながら生きているよりも、生かされていると実感します。わたし達のひとり一人を大切にしてくださる神様は、季節を通してもご自分を身近な存在として感じさせるようにされています。 神様に生かされているという真実を実感する時にわたし達の中に別の力、別の命が存在していると分かります。その別の力、別の命は神様の命、神様の存在です。わたし達はこの時、神の子であることがとても理解しやすく感じます。
今年も世界の宣教の日を迎えることになりました。周囲を見れば、人の心におられて働いておられる神様のことを知らない人は本当に多いです。だからイエス様がすすめられているように神様である主の収穫に祈らなければなりません。この大きな社会の中で、沢山の人にイエス様の良い訪れを知らせるために働く者を送り込むように、主の収穫を祈りましょう。それだけしかできないわたし達は、神の国で沢山働く者を望みながら、収穫の主を願い、他の大勢に働く人は、自分の人生を宣教の活動に励むように願いましょう。
このような教会の祝いは、今日全世界各教会、ヨーロッパ、アジア、アメリカ、アフリカの教会で行われています。教会の本質はイエス様の心を伝えることですから、世界中の一番小さい教会から、最も大きな教会まで、宣教の為に祈り、少しだけでも、自分の協力を生かせるように考えましょう。
今日の福音書も綺麗なメッセージを知らせています。不正な裁判官のたとえ話のことです。この不正な裁判官は、やもめの諦め止まない祈りによって願った願いを聞き入れました。この例えに登場する人たちの役を見てみましょう、そしてゲームのようにわたし達の役も登場人物の役に入れ替えてみましょう。まず、不正な裁判官をわたし達のことにすれば、願うのは弱い声の神様のことです。その場合は絶え間なく願ってくださる神様の声に応えられるのでしょうか。 反対に、わたし達をやもめの役にすれば、一所懸命しつこく神様に頼むことにすれば何でも叶えられるでしょうね。「まして神は昼も夜も、叫び求めている選ばれた人たちの為に....彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか!」 だかから今日の福音書の言葉から、勇気と力をいただいて、神様のみ胸を果たしながら、この与えられた人生を勇気一杯歩きましょう。
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