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【慰安婦問題の元凶】

2022-07-04 09:48:23 | 日記
🔴【慰安婦問題の元凶】



●吉田清治7
1977年(昭和52年)、新人物往来社刊『朝鮮人慰安婦と日本人』を出版。そこでは、慰安婦狩り(強制連行)の話は出てこず、朝鮮人地区の女性が慰安婦を中継ぎする話になっている。

慰安婦狩りの話が出てくるのは1982年(昭和57年)の講演であり、同年9月2日の朝日新聞大阪版では、吉田が慰安婦狩りの内容を講演した旨が採り上げられている。翌1983年(昭和58年)、二作目となる三一書房刊『私の戦争犯罪』を出版。



そこでは、1943年(昭和18年)5月15日付の西部軍動員命令によって5月17日に下関港を出発し、翌日済州島に着いて、兵士10人の応援で205人の婦女子を慰安婦要員として強制連行したとし、その要点(吉田メモ≒動員命令書)は妻の日記に記載されているとした。しかし、吉田が結婚したのは翌1944年(昭和19年)5月のことである。その点を秦によって指摘されると「事実上の結婚と入籍が異なる」と釈明し、事実上の結婚はいつだったのかと指摘されると「昭和16年(1941年)かな」と答えたという。しかし、昭和16年は自著によると服役中であることも指摘されている。
また、肝心の吉田メモが記されているはずの妻の日記は、そもそも実在しないことが、後に明らかとなった。



終戦後の1947年(昭和22年)に、下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補。129票を獲得したが落選したという経歴を持つ。1970年(昭和45年)頃には福岡県の日ソ親善協会役員に就いた。

#吉田清治7


今日は何の日

2022-07-04 07:57:10 | 日記


シーザーサラダの日(7月4日 記念日)

東京都渋谷区渋谷に本社を置き、マヨネーズソースやドレッシングなど様々な食品を製造・販売するキユーピー株式会社が制定。

日付はこの日に「シーザーサラダ」が生まれたとされることから。シーザーサラダの消費拡大が目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

シーザーサラダドレッシング

同社は、パルメザンチーズの香りと食感をいかし、黒こしょうで仕上げた「シーザーサラダドレッシング」を販売している。



シーザーサラダの起源について

1924年(大正13年)のこの日、アメリカの国境に接するメキシコのティファナ(Tijuana)のホテル「シーザーズ・プレイス」(Caesar's Place)で、オーナーでイタリア系移民の料理人シーザー・カルディーニ(Caesar Cardini)氏が、ロメインレタスをメインにパルメザンチーズやクルトンなどの材料をかき集めて即興でサラダを作った。これが「シーザーサラダ」の起源といわれる。シーザーサラダが作られた日は「アメリカ独立記念日」でもある。

当時のアメリカでは、禁酒法が施行されていて、ティファナは、カリフォルニア州のハリウッドで働くアメリカ人たちが酒を飲める歓楽街として賑わっていた。シーザーサラダは、ティファナに押しかけるハリウッドの芸能関係者たちにより本国アメリカへ伝え広まったとされる。

シーザーサラダは、古代ローマのジュリアス・シーザー(Julius Caesar)の好物であったという俗説があるが、実際にはジュリアス・シーザーとの関連はない。