あんずの流れゆく日々♪

光陰矢の如し。
飛ぶように過ぎ去る日々を
大切に&楽しく&悔いなく。
鳥や猫との触れ合いを綴った画像日記♪

鳩に懐かれて(^^♪&兵隊とヒョウの話にウルウル。

2017-08-18 08:33:58 | 
ほぼ同じような時間帯に、

ある道をトコトコ歩いて行くと

鳩が迎えに来るようになりました。







鳩も餌をくれる人を認識するんですかね。









たまに手の甲に乗って来る鳩もいます。

餌欲しさに。








さて、今朝は動物の好きな方に

「兵隊とヒョウ」のお話しをシェアします。

私はもう朝からウルウルよ。

少し長いです。

(動物の保護活動をしてらっしゃる塩田妙玄さんのブログから)


         ↓



第二次世界大戦の際、中国に兵営していた日本の部隊の兵隊さんが、
お母さんのいないある赤ちゃんヒョウを、いぶされた森林で保護しました。

兵隊さんはその赤ちゃんヒョウを部隊に連れて帰り、
ミルクがないので、自分が食べたものを口移しで、
赤ちゃんヒョウに与え、自分のふところに入れ、大切に育てます。
 
部隊の他の兵隊さんも、この懐っこいヒョウに「ハチ」と名付け、
部隊みんなでかわいがり、育てていました。
 
その後、ハチは別の兵隊さんに世話をまかされます。
その兵隊さんもまた、ハチを溺愛し、命がけで育てていきます。
そんなとき、ハチの噂を聞いた将校が「危険だから処分するように」と、
部隊を訪れてきました。ハチの飼い主の兵隊さんはここは、
嘘をついてもハチを隠しきれない。守り切れないから、
本当のことを伝えて懇願しようと決意します。





思い切って、ハチがどんなに人懐こく、
部隊のマスコットで兵隊たちの士気を上げる存在かを一生懸命、将校に伝えます。
すると、そのとき、ハチがトコトコと将校のサーベルにじゃれ始めました。
将校はそっと、ハチの頭をなぜ「危険なし!部隊と同行よし」の判断を下します。
兵隊さんたちは飛び上がって喜びました。
 
それからというもの、ハチはこの部隊と生活をともにするのです。
ですが、戦況が厳しさを増す中、もうどうにも状況が厳しい戦地にハチを
連れて行くことができなくなります。
 
兵隊さんは、中国から日本中の動物園に連絡をして、ハチを引きとってくれるよう打診します。
ですが、終戦直前に日本の動物園ではどこも食料難で、
猛獣を引きとってくれるところはありません。
兵隊さんは、人脈を持つある女性歌手に打診し、兵隊さんと彼女の奔走で、
ハチは「上野動物園」での引き受けが決まったのです!

 
「帝都東京。天皇陛下のおひざもとならば、安心だ!」
そういいつつ、部隊はみな、泣きながら
「ハチ、次は天国で会おうな!俺たちが先に逝って待ってるからな。
 俺たちが天国から、お前を守るからな」そう言いながら、
部隊はハチと涙の別れをします。
 
このときに部隊の兵隊さんたちは、戦死を覚悟していました。。
だからこそ、ハチだけは助けたい。
そんな思いを乗せて、ハチはなんとこの戦乱の時期に、
中国から上野動物園に無事に輸送されました。

上野動物園についたハチは、その人懐こさから、瞬く間に人気ものになりました。
触れる猛獣。人に疑いをもたず、甘えてくる猛獣なんていなかったからです。



 

ですが、しばらくすると戦況が悪化。軍司令部から全国の動物園に、
「全ての猛獣を殺処分せよ」と命令が下ります。
東京大空襲などの際、逃げだした猛獣の被害を出さないため、
その肉を食用または皮を剥いで使用するため、という意味もありました。

硝酸ストリキニーネという毒薬をご飯に混ぜて、ライオン、トラ、ゾウ、大蛇、
大きな動物たちに、与えることが命令されます。
飼育員たちは、苦悶しながら実行しますが、動物たちは
みな首を傾げて食べようとしません。また食べても吐いてしまう動物も。
そんな猛獣たちは致死量に足りず、長い時間苦しみながら、のたうち回り死んでいくものもいれば、
ご飯を食べない個体は、撲殺や首をロープで絞め殺されました。

頭のいいゾウは、どんなことをしても毒餌を食べず、長い期間をかけて、
餓死をさせられたのは有名なお話です。 
書籍や絵本「かわいそうなゾウ」になっています。
 
そんな中、ハチだけは・・・・
ハチだけが、なんの疑いもなく、与えられた毒入りのご飯を食べたのです。
人間に拾われ、愛され、大事にされ、人とともに生きたハチは、
人間のやることに何の疑いも、持たなかったのです。
そのあと、ハチは苦しんで絶命します。
 
人に愛され、命がけで守られたハチは、信頼していた人間の手に
よって殺されたのです。
 
その後、ハチために奔走した飼い主の兵隊さんが、奇跡的に生還・帰国し、
真っ先にハチに会おうと、できたらハチを引き取りたいと連絡したところ、
ハチの訃報を聞くのです。
生き残った部隊の兵隊さんたちは、みな驚き号泣します。
まさか、まさか、一番安全だと思った帝都・東京の上野動物園で、
殺されるなんて・・・。
ハチは殺された後、はく製にされていました。
兵隊さんは「なんとかハチの魂だけでも救いたい。連れて帰りたい」と
ハチのはく製奪還を模索します。このときも、たくさんの人の尽力で、
「ヒョウのはく製損傷」という名目で、ハチのはく製の奪還に成功します。

 
終戦後、元兵隊さんは、パンサー(ヒョウ)という小さな喫茶店を始め、
店内にハチのはく製を置きました。毎朝、ハチの横で珈琲を飲むのが日課だったそうで、
訪れる人によくハチの話をしていたといいます。
部隊の元兵隊さんたちは、ここを訪ねては、ハチの前で泣いていったそうです。
その後、85歳の兵隊さん亡きあとハチのはく製は修理もされ、
子供たち向けの博物館に寄贈されます。
どうにも、ハチの優しい目がはく製では表現できなかったといいます。
 
 
はく製として姿を残したハチの話は、訪れた子供たちの心に戦争の悲惨さを
訴え、人の愛もまた語り継いでいくでしょう。

 
ハチは今頃、お父さん(兵隊さん)と他の部隊の人たちと、
虹の橋で甘えていることでしょうね
 
 
ハチの最後はかわいそうなのですが、その後、あの時代の劣悪な環境の動物園で、
長年閉じ込められることを考えると・・・。

兵隊さんとハチは、後年につながる戦争の悲惨さを訴えるお役目を
立派に果たして逝かれたのだなぁ。。。と感動しました。
 
ハチが毒入りのご飯を何の疑いもなく、食べるところが
何とも・・・・。愛されたハチの人生を物語っていますね。
 

ハチと兵隊さんに合掌           妙玄


おまけ。

昨日のノラちゃん。

画像が荒いですなぁ。









しばらくクロが姿を見せません。

お皿は空になっているので食べてはいるようです。

顔を見ない日が続くと心配・・・。

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2 コメント

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素敵なお話 (chidori)
2017-08-18 09:22:40
こんなお話のあとは黙っていたい。‥ですね。上野動物園の動物たちの話「ゾウのいない動物園」の絵本を思いだしました。

鳩は人を見分けると思います。
保育園時代、いつも公園にやってくるオジサンは公園の外から大きく手をあげて公園に入ってきました。するとどこからともなく公園にハトが数百羽集まってくるのです。

オジサンは餌を撒いてはととお話しているようでした。

毎日ではなかったのですが「ハトは僕のこと知っているんだよ」と話していました。
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chidoriさん。 (あんず)
2017-08-18 16:51:46
chidoriさん、こんにちは。

今日も鳩オバサンをやってきました。
都会の鳩はどうやって食べ物を調達して
いるんでしょうかね。
森や林がないので虫や木の実もないし・・・。
ときどきパン屑やトウモロコシを砕いたのを
撒いてる人を見かけますが、
あれで食いつないでいるのかなあ。
毎日食べなくても生きていけるのかしら。
野生の鳥の生態は無知もいいとこ。
今度調べてみようと思います。

餓死させられた象の話・・・むごい話です。
人間はそんなに偉いの? 何様のつもり?象に申し訳なくて申し訳なくて・・・。
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