五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

昭和時代の五高

2013-09-11 06:25:54 | 五高の歴史
小山先生の「五高と近代日本」の最終シリーズとして「武夫原頭と日本ファシズム」が来年の四月まで十三回に亘って開校されるという案内があったので昨日は熊日に申請に行って来た。
週一回は未だに記念館に顔を出し資料を漁っているが何時もは三時近くまで居るが一時には出て熊日によって来た。ここではその前調べとでも言おうか今まで調べていた昭和編をしばらく掲載して行くことにした。以下は自分で纏めている昭和編の書き出しである。

対七高野球戦もあらゆる手段を通じて復活が迫ったけれども断固として拒否された。その後はボートレースに力を注ぎ文理対抗をはじめとして昭和三年より盛大に始めたのである。
寮の実際生活上のモットーの一つは「より快適な生活」であり衣食住の三要素の快適である・衣は個人的なものであり、住は学校当局との関係であり、日常直接委員の活躍は食の方面であり、炊事部の活躍に負うところが大であった。

習学寮創立以来の自炊制度が弊害であると言って明治四十五年廃止されたのであったが、請負制度は食物が不味の結果賄い征伐も行われその弊害もまた多く自炊生活を復活する声も大きくなり、昭和三年委員会の決議に基づき総代奔走の結果三月三〇日再び多年の要望であった自炊制度が許可され、炊事委員長は炊事全般の事務を総括することとなった。
このようにして自炊制度は復活したのであったが着々とその成果は上がり四年から五年にかけて炊事内規三〇条を制定、炊事器具の購入、炊事傭人の待遇改善、食事の質及び量の向上は目覚しく日を追うにつれその効果は炊事積立金をなすまでにその余裕を見出すようになった。

自炊制度の確立と共に自治権の確立を叫ぶ声が大になり、昭和三年九月三〇日の委員会において「総代選挙権を全寮生に与える」の件を決議したが学校当局の許可を受けることは出来なかった。

当時の総代日誌には「既に普通選挙が認められた今日、また竜南会総務選挙権の現状に鑑みるも総代選挙は理論としては大いに合理的な問題で然るに委員選挙の実際に想到せよ、思い半ばにすぐるものがある。我々は理論においては無条件に賛成であるが実際問題としては時期尚早の間を抱くものがある」と述べているが、

実際問題として観察すると新旧委員の互選制の如何に現状に即したものか了解できる。寮のごとき家族的気分の濃厚な所に置いては、必ずしも合理主義のみでは立ち行かない場合が多くある。何はともあれ学校生活はが生活の中心であったということがわかる