東光会とはマルキシズム華やかなる頃これに対抗して「光は東方より」を叫んで結成された東洋研究団体で国粋主義傾向を表して活動した会である。
この後マルキシズムは没落していったが、東光会は活発になり活躍していった。
昭和14年2月1日寮内のコンパで議論は大いに進んで東大の河合、土方両教授の問題に及び学の絶対自由をといて軍官の思想的弾圧を痛感して祖国の前途を思い半ばに過ぎるものありとなす者があり、国家の大学において教壇に立つ以上、その国家に弓引く思想態度は許されぬといい、言論と思想を巡って論議が戦わされた。この日も河合教授に対して法学部学生がとった態度にたいし論ぜられたが遂には現今の教育制度そのものを恨むという結論に達している。
この言論に対する干渉は中央の方針であり、五高内でも行われていた弁論大会において出演者はあらかじめ原稿を生徒課に提出して検閲を受けねばならなかった。
寮報の原稿も編集前に生徒課の検閲を受け、発行後は特高へ提出しなければならなくなっていたのである。
この後マルキシズムは没落していったが、東光会は活発になり活躍していった。
昭和14年2月1日寮内のコンパで議論は大いに進んで東大の河合、土方両教授の問題に及び学の絶対自由をといて軍官の思想的弾圧を痛感して祖国の前途を思い半ばに過ぎるものありとなす者があり、国家の大学において教壇に立つ以上、その国家に弓引く思想態度は許されぬといい、言論と思想を巡って論議が戦わされた。この日も河合教授に対して法学部学生がとった態度にたいし論ぜられたが遂には現今の教育制度そのものを恨むという結論に達している。
この言論に対する干渉は中央の方針であり、五高内でも行われていた弁論大会において出演者はあらかじめ原稿を生徒課に提出して検閲を受けねばならなかった。
寮報の原稿も編集前に生徒課の検閲を受け、発行後は特高へ提出しなければならなくなっていたのである。