先日、出かけたついでに従兄の家に寄ってきました。
伯母が施設に入っていたときは1ヶ月に1度、従兄の車に同乗させてもらい、
施設に着く前に昼食をしながらお互いの近況報告などしていましたが、
去年からのコロナ禍で伯母との面会はできなくなりました。
そして今年の2月に伯母が亡くなると、従兄からの電話は減り、
わたしも特に用もないので連絡をしていませんでした。
近くに来たから寄りたいと、突然電話をすると、おいで、おいでの返事。
お土産を渡して家に上がると、
片付けが得意ではない従兄嫁、台所も居間も散らかりっぱなし。
ま、わたしも人のことは言えないけれど・・・。
従兄夫婦の住まいは4階建ての3・4階、1階と2階はアパートになっています。
4階には独身の息子が2人、その衣食住のほとんどが親がかり。
従兄は腰が悪く手術をしましたが、リハビリはせず、
伯母の施設に行くことがなくなった今は、ほとんど部屋から出ないようです。
お嫁さんだけでも買い物のついでにランチでもしようと誘いましたが、
従兄や息子たちのことが気になるので無理だと言われました。
家にこもってばかりではいろいろな刺激が少なくて、
老化が進むばかりだと思うのですが、外出の無理強いはできません。
きょう、Oさんから誕生日カードが届きました。
誕生日カードといっても、Happy birthdayと書かれた沖縄のポストカード。
Oさんにしてはやっつけ仕事です。
いつもは手作りのbirthdaycardが届いていました。
いただいておいて文句を言うのではなくて、Oさんの老化を感じてしまったのです。
なにより、わたしの住所の地番が全然違っていたのです。
10日の消印でしたが、郵便局で探してくれたのでしょう。
住所の下に鉛筆書きで正しい地番が書かれていました。
友人や仕事仲間の多いOさん、その住所録は大切にしていました。
以前なら住所を間違えることなどありませんでした。
3週間前ほど前にもOさんからレターパックが届きました。
今まで撮りためたものをフォトブックにしたようです。
その出来はさておき、レターパックの宛名に書かれた電話番号は、
わたしの固定電話でも携帯電話でもありませんでした。
住所や電話番号は緊急時には必要なものです。
多分、わたし以外の連絡網にもほころびが生じているかもしれません。
でも、Oさんは85歳、歳をとるということは、そういうことなのだと感じています。
わたしも意欲や好奇心は少なくなって、体のいろいろな所に不調も出ています。
出かけることが億劫になったり、自分では万全と思っていても、
抜けていたり、間違っていたり、若いころとは違っていく自分。
だれにでもやって来る心身と頭の老化。
最近の身近な人たちの様子を見て、
できるだけ緩やかに歳をとっていきたいと願うわたしです。
おととい、豊洲にある『teamLab★planets』へ行ってきました。
テーマごとのいくつもの新感覚の世界が続きます。20代の人たちが多かったです。
新感覚に触れて、わたしの細胞も少し活性化したような感じになりました。
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