紋次郎と日々の出来事

骨肉腫と闘った紋次郎と保護犬の正次郎との日々

最期に向けて6

2008年11月09日 22時11分54秒 | 父のこと
姉はずっとお父さんをさすっています。周りでみんなが泣いています。
お父さんは変わらない、さすると心拍数が上がり、やめると0になるという状態です。
私は一体いつ死亡宣告するんだろう??どのような状態になったら死亡宣告するのだろう?っと冷静でした。
いつも間にかベットの回りはカーテンがひかれていました。
するとおもむろにドカベン先生がやってきて、「そろそろ死亡宣告をします
って・・・そろそろってなんだ??
っと思いましたが、
「あの時計は正確ですから、あの時計で言いますね。10時40分です」
その言葉を聞いたらなぜか疑問はすべて吹っ飛び、思わず口から出た言葉は
お父さん、行ってらっしゃい
でした。
なぜそんな言葉が出たのかわかりませんが、きっと違う世界にお父さんは行って、生まれ変わるのだと思います。または私たちを待っているのだろうと。。

お父さんがいなくなってしまうなんて、お父さんの死んだ姿をこんなに早く見なくてはいけないなんて・・・癌とわかったときにそれなりに覚悟をしていましたが、いざ現実になると子供のころの思い出ばかりが浮かんできます。

実年齢、69歳 享年71歳 平成20年(2008年)2月14日のことでした。


久方ぶりです

2008年11月09日 21時55分08秒 | 父のこと
ああ、もうずいぶんと更新していませんでした。記憶もちょっと薄らいだり。
更新していないプログでも訪問者はいらっしゃるんですね。うれしいやら、恥ずかしいやら。自己中心的なプログですみません

プログを更新していない間、一周忌に向けてお墓を選んでいました。
父は早くに両親が他界し、父方のお墓は何処??状態。母は地元ですがお嫁に
出ていますからね。
生前に場所だけは確保していました。その場所は法事をやっているお寺にあるのですが、なにぶん急な坂を上らなければなりません。今は簡易墓(木のお墓)を立ててあるのですが、お墓参りも大変です。特に母が。
そこで場所の移動をお寺にお願いしたり、墓石を決めたりといろいろでした

なんせ、お墓を決めるのも大変・・・石から選ばないといけないのですから。
中国の石からインドネシア、いろいろです。
外国の石はいやだからと、日本の石から選んだのですが九州やら四国やら、沢山!
最初はお父さんの出身の高知の石にしようと思ったのですが値段が破格!!
結局地元の石から選ぶことにしたのですが、岡崎やら稲武やらこれまたいろいろ
大きさも9寸8寸、形も今風や昔からある普通のもの。平凡な形でもまたいろいろあって・・・

結局、石屋さんと母と住職とで回りになじむような稲生の石に決めました。
形も平凡な一般的なもの、そして名前をついでいなくても全員が入れるものに
しました。
私は子供がいないので散骨でいいやっと思っていましたが、なんかここに入ろうと
思います。

子供のころ、家族4人でいたころをふっと思い出しました