紋次郎と日々の出来事

骨肉腫と闘った紋次郎と保護犬の正次郎との日々

忘れない為に24

2008年06月18日 00時18分56秒 | 父のこと
先生は倒れる前に病院に行ったときのレントゲンを見せて説明してくれました。やはり肺気腫があるそうです。本当にこんな状態になるとは驚いていますと。1月の終わりには元気で退院したのに。といってくれました。
私たちにしたら元気というか、退院後は体調が悪かったんですがね。
呼吸器科の婦長さんとICUの担当の看護婦さん(毎日担当が替わります)が一緒にいました。
私は先生にもし、このレントゲンを見たらすぐに入院させますか?っと聞くと、『はい』っとはっきり言いました。
私は思わず号泣して、『悔しいです、何とか説得して病院に行かせたのにこんな結果になって、本当に悔しいです』っと言いましたが、もちろん先生は無言でした。
姉や母がいろいろ聞いていましたが、もう自分が聞いたことしか覚えていません。母は先生にとても気を使っていたことを覚えています。

私はこのとき、まだお父さんは助かると思っていました。ICUの先生が肺がんよりまず意識を取り戻すほうが先です・・っと急変する前に言っていたので、先生に「もしこのまま意識が戻らなかったら抗がん剤は打てないのですよね」先生「はい」「もしこのまま意識がもどらず、癌が進行した場合、お父さんは痛いとおもうのでしょうか??」という質問をしたとき、先生は「??}みたいな顔をしました
私には意味がわかりませんでしたが、今となればカルテを見て『脳死状態』と把握していたのでしょう、痛みなどないっと言いたかったのでしょう、それ以前にそんなにもたないっと思ったのでしょう、ですが、しばらくして「きっと大丈夫ですよ、痛みを抑える薬はありますから」っと言われました。

その後、お父さんは決してあきらめなかったという話、抗がん剤を打っているときに病室でビールを飲んでいて先生に怒られた話などをされました。ビールは私たち娘が差し入れしていました。せめてお酒ぐらいは・・っと思っていたのですが、今ではそれがいけなかったのかもしれませんね。元気で入院していたころの院内での話をしました。
私はただ終始涙が出て仕方がなかったです。悔しくって悔しくって、せめて誤診した内科医!!!謝りに出て来いよ!!!っとずっと思っていました
今でも思っています。訴訟するつもりとかまったくないけどせめて医療ミスは認めて謝罪してほしかったです。

訴訟してもお父さんは帰ってこないです。でもせめて謝罪ぐらいはしてもいいのではないでしょうか??姉は肺気腫があるってわからなくて機嫌よく帰ってきたからよかったじゃないの、というけど、私は行きたがらないお父さんを説得したし、そういう問題じゃないと思います。
本当に悔しいです

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