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『水戸黄門』の政治的手法の問題点

茨城県水戸市と隣接する2つの市の市長がTBSに番組存続を求めて「陳情」したらしい。
TBSは日本政府ではないが、何とも水戸藩主が江戸城で将軍に陳情する姿を連想してしまう。

『水戸黄門』で描かれている世直し旅は中央政府が各自治体の政治、経済の様子を抜き打ちで調査している姿を描いているようなものだが、所詮は非公式であり、情報の収集・傳達方法が忍者による家屋への不法侵入など非合法である場合も多く、光圀が各地で説教しても法的拘束力がどこまであったか微妙だ。また印籠という「中央政府のお墨付き」で相手を一喝する権威主義的手法は本来、劇中の光圀が最も嫌うはずの手法であり、その意味で『水戸黄門』は反権力を言いながら権威主義的手法に頼る矛盾した時代劇となっていた。

確かに『水戸黄門』では「政(まつりごと)は民百姓のためにすべきだ」という思想がしばしば述べられているが、一方で政の不正を民百姓の力で正せない世界であり、地域の不正は他の地域の権力者によって是正されるというドラマである。それぞれの地域の権力者と地元住民に自浄能力がなく、異なる地域の権力側に事情能力があるという思想に貫かれている。

企業でも自治体でも外部からトップを招いて改革することはあるが、『水戸黄門』は常に短期滞在の旅行者であり、世直しは一時的だけで、また似たような不正が起きる。これなら、あのような旅は一回だけにして、報告を受けた幕府が各地の藩に監視役を派遣して常駐させる方がましである。

『水戸黄門』は「上の者は下の者のことを考えるべきだ」「金持ちは貧しい人のことを考えるべきだ」という思想によるドラマで、不正は必ずばれるということを示している。ただ民衆でなく権力側が不正を正し、地元でなく外部の人間が短期で解決する手法に世間が拍手を送るようでは民主主義は育たない。

『水戸黄門』の光圀は越後のちりめん問屋の隠居・光(右)衛門を名乗り、『暴れん坊将軍』の吉宗は貧乏旗本の三男・徳田新之助を名乗っていた。
主人公が自分の名前を肩書きを偽って、嘘をついていることから話が始まっており、このような手法は法的な正当性を疑うべきものだし、倫理上も問題である。

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2011年8/5~9

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