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『巨人の星』

私にとって『巨人の星』とは、あくまで王貞治が現役だった時代、梶原一騎が健在だったころの作品である。

つい最近、東京MXテレビで再放送していた『巨人の星』の花形満は「中学生で車を運轉していた」と言われる。
しかし、その後の展開を考えると、花形の初登場時は小学生になってしまう。

星飛雄馬が高校1年で夏の甲子園に出場し、高3の花形に敗れ、高1の2学期で青雲高校を中退、後半戦のシーズン中に巨人にテスト入団したとき、巨人はV3を達成し、年明けは1968年で飛雄馬は台湾キャンプに参加。

すると、飛雄馬は1967年度で高1(16歳)、花形は2年先輩で、1967年度で高2(17歳)。
したがって、飛雄馬は1951年生まれ、花形は1949年生まれ。両者とも早生まれ(年度の遅生まれ)でないことは作品からわかる。

そこから冒頭に戻ると、星飛雄馬が巨人入団直後の長嶋茂雄に魔送球を投げつけ、花形満と出会い、早稲田実業3年当時の王選手と対戦したのは半世紀前の1958年。
飛雄馬は7歳(小1)、花形は9歳(小3)になってしまう。

しかし、世間で言われているように、初登場時、ブラック=シャドーズを率いていた花形はどう観ても小学3年には見えない。当時、飛雄馬の小学校にいた6年生の赤川より花形は年上として描かれていた。
そうなると、初登場時の花形は紅洋高校に入る前だから最高で15歳。
また、当時、作中の川上哲治は飛雄馬を「10歳くらい」としていた。

さらに、飛雄馬が青雲高校に入ったのは昭和41年(1966年)の春だった。

そこで、『巨人の星』を飛雄馬の少年時代、青雲高校時代、プロ野球時代に分けて、この3つの時期の飛雄馬を別人と解釋すると問題が解決する。

少年野球時代の飛雄馬は1948年生まれ、花形は1943年生まれで、1958年当時にはそれぞれ飛雄馬10歳、花形15歳であった。「花形は中学生で車を乗り回していた」はこのイメーヂに基づく。

高校野球編の飛雄馬は1950年生まれ、花形は1948年生まれで、1966年の春でそれぞれ飛雄馬16歳、花形18歳。

そして、プロ野球編の飛雄馬は1951年生まれ、花形は1949年生まれで、
1967年の秋でそれぞれ飛雄馬16歳、花形18歳。

河崎実『「巨人の星」の謎』、柳田理科雄『空想科学読本5』、豊福きこう『水原勇気0勝3敗11S』(のちに『~1勝3敗12S「超」完全版』として改訂)では「飛雄馬1951年生まれ説」を採用している。

もっとも、河崎実は星占いから飛雄馬の誕生日を1951年の「2月」としており、この推定では早生まれになってしまうので、結局「1966年春、高校入学」になる。
星飛雄馬が大リーグボール3号で左腕を破壊した1970年当時は19歳、76年に右投手として巨人に復帰したのは25歳、蜃気楼の魔球を開發した78年当時は27歳で、翌79年に巨人の二軍コーチになったのが28歳という風に、プロ入りから『新巨人の星』『巨人のサムライ炎』に至る飛雄馬のキャリアはこのプロ編基準で解釋できるだろう。
『巨人のサムライ炎』の作中で飛雄馬の年齢設定がどうなっているかは、まだ、確認前なので、いずれ観てみたい。

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