今朝エアコンをつけたら同じく神戸に住む友人からLINEで連絡が入った。
それぞれの朝・・・。
21年前の自分が体験した朝、多くの人が遭遇した朝に思いを重ねながら、静かに
黙祷を捧げた。
集会に行かない私は、毎年起きてすぐ外の風景を確認するのが習慣になっている。
そして、その中に街の灯りが普通にあることに安堵する。
明石海峡大橋のネックレス形の灯りも肉眼でははっきりと見えている。
明け方とはいえあの朝はまさに明暗を分けた風景。東側には灯りが見えているのに
西側は本当に闇の中だったから。その闇にポツ、ポツと増えてくる赤い色は灯り
ではなく炎だった。家の中の惨状はともかく、白々明けて来た頃には信じられない
風景が窓の外に広がっていた。
不思議なことに我が家には震災に関する写真は一切ない。だから、何度も反芻する
あの朝のことは記憶でしかない。闇の中で建物の発する悲鳴音を聞きながら難破船
のように大きく揺られた恐怖も体に刻まれた記憶の中にしかない。
21年経って、今も同じ窓から外を眺めていられることに感謝しつつ。
阪神淡路大震災と震災関連で亡くなられた人々のことを想い、今年も1月17日を
祈りの日にしよう。
それぞれの朝・・・。
21年前の自分が体験した朝、多くの人が遭遇した朝に思いを重ねながら、静かに
黙祷を捧げた。
集会に行かない私は、毎年起きてすぐ外の風景を確認するのが習慣になっている。
そして、その中に街の灯りが普通にあることに安堵する。
明石海峡大橋のネックレス形の灯りも肉眼でははっきりと見えている。
明け方とはいえあの朝はまさに明暗を分けた風景。東側には灯りが見えているのに
西側は本当に闇の中だったから。その闇にポツ、ポツと増えてくる赤い色は灯り
ではなく炎だった。家の中の惨状はともかく、白々明けて来た頃には信じられない
風景が窓の外に広がっていた。
不思議なことに我が家には震災に関する写真は一切ない。だから、何度も反芻する
あの朝のことは記憶でしかない。闇の中で建物の発する悲鳴音を聞きながら難破船
のように大きく揺られた恐怖も体に刻まれた記憶の中にしかない。
21年経って、今も同じ窓から外を眺めていられることに感謝しつつ。
阪神淡路大震災と震災関連で亡くなられた人々のことを想い、今年も1月17日を
祈りの日にしよう。