吉原の桜 尾州楼 長尾
大蘇芳年 画 御届明治十三年三月
長尾 わたしだよ 顔をもっと見せておくれ
江戸時代 吉原の桜は名物となっていました
花の咲く時期だけ移植される桜の木で
毎年三月一日に仲の町の通りに植え込み
花の咲く時期だけ移植される桜の木ですが
葉桜になっても見物客は絶えなかった様です。
吉原の桜 尾州楼 長尾
大蘇芳年 画 御届明治十三年三月
長尾 わたしだよ 顔をもっと見せておくれ
江戸時代 吉原の桜は名物となっていました
花の咲く時期だけ移植される桜の木で
毎年三月一日に仲の町の通りに植え込み
花の咲く時期だけ移植される桜の木ですが
葉桜になっても見物客は絶えなかった様です。
梅やしき 新橋 てい
かんざしに梅花をさす
大蘇芳年 画 御届明治十三年三月
江戸のころ、亀戸の梅屋敷は亀戸天神の裏手にあり
百姓喜右衛門の所有する清香庵という梅園を
将軍吉宗が褒めたことから有名となりました
『美人七陽華』は明治天皇に仕えた侍女を
七つの花にみたてて描いた明治11年(1878年)の作品
絵師は月岡芳年
正五位 柳原愛子(1859年~1943年」)
従四位 四辻清子(1840年~1902年)
正五位 植松務子(1851年~1899年)
従四位 萬里小路幸子(1835年~1918年)
正五位 西洞院成子( ? ~ ? )
従四位 高倉壽子(1840年~1930年)
もう一つの華については2月17日記事のほうにあります
『美立七曜星』 は明治天皇に仕えた侍女を
七曜に見立てて描いた作品で明治11年に出版された
絵師は月岡芳年
「朝日」
下の絵とともに名前が記載されていないことから
この絵の主は昭憲皇后であろうと推測されていますので
当時の女官たちの名前は出せても
皇后の名前を出すのは流石に憚ったようです
『美人七陽華』
美人七陽華は七つの花にみたてて描いた作品
「いずれがあやめ かきつばた」
漢字で書くと杜若、紫色の覆輪花はかきつばたのように思えます
旧名 一条美子(いちじょう はるこ)
『美立七曜星』 は明治天皇に仕えた侍女を
七曜に見立てて描いた作品で明治11年に出版された
絵師は月岡芳年
「魁木」
典侍従四位 萬里小路幸子(までのこうじ さちこ)
権掌侍正六位 唐橋貞子(からはし ただこ)
「魁木(かいぼく)」は「梅は百花の魁」を意図しているものと考えられる
「化粧の金」
掌侍正六位 錦織隆子(にしごり たかこ)
権掌侍正六位 唐橋娩子(からはし よしこ)
お歯黒をしている様子
「鉢植の土」
典侍正四位 高倉壽子(たかくら としこ)
皇后入内の際に一条家から共にした女官長
座れば牡丹
同じ叙位でも「正」は「従」の上級で、「権」=「副」の意味となる