オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

月百姿 猿楽月

2017-12-07 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『猿楽月』

さるがくのつき

明治二十四年印刷

 

 

能は江戸時代までは「猿楽の能」とか単に「猿楽」と呼ばれていた。

猿楽という名称は奈良時代に中国から伝来した民間の雑芸

「散楽」(さんがく)の名に由来している。

 


国立国会図書館デジタルコレクション 099

 

町入能(まちいりのう)

江戸幕府では将軍宣下、後継ぎの誕生、婚礼などのお祝い事、

また法会や日光参詣など重要な儀式の際には城内の表舞台で能楽を催した。

しかも将軍の坐している大広間の近くで諸大名とともに

町人を代表する町名主も白洲で能を見物することが許されていた。

 

町入能は雨天でも開催され白洲には屋根がないことから

白洲の入口で土産の傘を渡される。

白洲から仰ぎ見る大広間は広く威厳に満ちており

千畳敷はあったぞと町名主たちが江戸市中に吹聴していた。

 

転用元:大江戸歴史散歩を楽しむ会

 

 

千代田之御表 (ちよだのおんおもて)

御大禮之節町人御能拝見  楊洲周延画

 


月百姿 心観月

2017-12-06 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『心観月』 平友梅

  しんかんのつき  たいらともうめ 

明治十九年届

 

平友梅についての人物像は未詳

検索においては「手友梅」との記載も見受けられるが

はっきりしたことはわかりません。


『暗きよりくらき道にも迷はじな 心に月の曇りなければ』

 

 

国立国会図書館デジタルコレクション 102

 

手友梅は病気で盲目となってしまう。

「心の月が曇らなければ、暗い道でも迷わない」

手友梅はその詠を背に挿した青竹に付け

目が見えないにもかかわらず毛利軍と果敢に戦い戦死する。

 かつてない盲人だと皆涙を流したという。

 

秋華洞浮世絵ギャラリーより転載

 

「暗きより暗き道にぞ入りぬべき 遥かに照らせ山の端の月」

平安時代の歌人和泉式部の和歌に通ずるところがありますね。

 


月百姿 淮水月

2017-11-29 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『淮水月』 伍子胥

わいすいのつき ごししょ 

明治二十年届


 

伍子胥(ごししょ)は中国・春秋時代末の楚(そ)の武人。

生年未詳 前485年 本名は伍員(ごうん)

讒言により父と兄が楚の平王に殺され

呉に亡命、のちに楚と戦いあだを討った。

 

讒言(ざんげん): 他人を陥れようとして事実をまげ

いつわって悪しざまに告げ口をすること。

 

国立国会図書館デジタルコレクション 035

 

黄河と長江の間を流れている川

淮水で平王の墓を探す伍子胥

 

紀元前513年、呉王闔閭(こうりょ)は伍子胥などをともなって楚に攻め入る

激戦が繰り広げられたが紀元前506年、

呉は楚の都・郢(えい)を制圧し、楚の昭王は隋に逃れた。

ついに伍子胥に父と兄の恨みを晴らす時がきた。

ところが、仇の平王はすでにこの世にはいない

怒りのやり場を失った伍子胥は恐るべき行動に出る。

平王の墓をあばき白骨化した死体を何度もむち打たせたのである。

これが「屍(しかばね)にむち打つ」の語源となった。

 

復讐の鬼とまで言われて後世に名を残したけど

人はそこまでなれるのかな? それも300回とか。。。

 


月百姿 赤壁月

2017-11-22 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『赤壁月』

せきへきのつき 

明治二十二年印刷


 

蘇東坡(そとうば)は中国北宋時代の政治家で詩人。

景祐3年(1036年) ~ 建中靖国元年(1101年)

本名は蘇軾(そしょく)

号の東坡居士から蘇東坡と呼ばれることが多い。

 

国立国会図書館デジタルコレクション 017

 

蘇軾 「赤壁賦」 (1) より

壬戌之秋 七月既望

蘇子與客泛舟 遊於赤壁之下

清風徐来 水波不興

挙酒属客 誦明月之詩

歌窈窕之章。

 

 壬戌(元豐五年 1082年)の秋 旧暦七月十六夜

わたし(蘇子)は客とともに船を浮かべて 赤壁の下に遊んだ。

清風がゆるやかに吹き 川面には波も立たない

酒を取って客に勧め 明月の詩を誦し

窈窕(ようちょう)の章を歌った。

 

月百姿のうち1枚だけの山水画の世界となっています。

 


月百姿 破窗月

2017-11-19 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『破窗月』

はそうのつき 

明治十九年届


 

達磨大師は中国禅宗の始祖

南インドのバラモンで出生、6世紀初め中国に渡り各地で禅を教え

嵩山(すうざん)の少林寺で面壁九年の座禅を行ったという。

 

国立国会図書館デジタルコレクション 076

 

”ダルマ”は達磨大師をモチーフとして生まれたとされています

達磨大師には壁に向かって九年の座禅を行ったことによって

手足が腐ってしまったという伝説があり

そこから手足のない形状で置物が作られるようになった。

それがダルマの始まりとされています。

ダルマが赤いのは仏教では赤が位の高い人の印

そこから頭から赤い法衣を被った姿を現しています。

 

フム、だるまさんは9年間転ばなかったということか!