月岡芳年 月百姿
『猿楽月』
さるがくのつき
明治二十四年印刷
能は江戸時代までは「猿楽の能」とか単に「猿楽」と呼ばれていた。
猿楽という名称は奈良時代に中国から伝来した民間の雑芸
「散楽」(さんがく)の名に由来している。
国立国会図書館デジタルコレクション 099
町入能(まちいりのう)
江戸幕府では将軍宣下、後継ぎの誕生、婚礼などのお祝い事、
また法会や日光参詣など重要な儀式の際には城内の表舞台で能楽を催した。
しかも将軍の坐している大広間の近くで諸大名とともに
町人を代表する町名主も白洲で能を見物することが許されていた。
町入能は雨天でも開催され白洲には屋根がないことから
白洲の入口で土産の傘を渡される。
白洲から仰ぎ見る大広間は広く威厳に満ちており
千畳敷はあったぞと町名主たちが江戸市中に吹聴していた。
転用元:大江戸歴史散歩を楽しむ会
千代田之御表 (ちよだのおんおもて)
御大禮之節町人御能拝見 楊洲周延画