お七は江戸前期、江戸本郷にいた八百屋の娘
寛文8年(1668)-天和3年(1683)
慶応2年(1866)出版 歌川豊国(国貞)絵
八百屋於七(やおやおしち)
駒込追分片町の菜蔬舗(やおや)太郎兵衛の女(むすめ)なり
當時五人娘の一の筆と評判高き美少女であった
天和元年祝融氏(しゅくゆうし)の怒りは、此邉(このあたり)焼亡させ
八百屋は指谷の圓乗寺門前に仮宅した。
寺の小姓藤堂佐兵衛と云う美少年、密に二世(にせ)を契ったが
旧地(もとち)の普請がととのうと、父とともに於七も追分に帰り
佐兵衛も中絶たるを愁い悲しみ恋慕の色著明(いちじる)しい。
この辺りの遊棍(わるもの)吉三郎という者が、虚に乗じ偸盗(ぬすみわざ)せんと
佐兵衛に会いたくば放火(ひをはなち)て家を焼けとすすめると
於七は思慮にも及ばず大罪を犯して
憐れむべし燈(ともしび)をとる蛾(むし)となり果て
吉三郎も天罰遁れず同刑に処せられた。
佐兵衛は悲歎(ひたん)に堪えず出家して西運(さいうん)と號(なの)り
常に灵場(れいじょう)に詣で、於七の後世を願い
老年に及び所々に金銅(からかね)の地蔵を造立す西運の為に
於七は夢枕に立ち成仏したことを告げた。
(柳亭種彦記)
崑山集に
『火櫻の 莟(つぼみ)て丁子がしら哉』
国立国会図書館デジタルコレクションよりの豊国錦絵
「古今名婦伝」全34話の紹介完了しました。 名婦ロスとなってしまうのかな?