オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

月百姿 淮水月

2017-11-29 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『淮水月』 伍子胥

わいすいのつき ごししょ 

明治二十年届


 

伍子胥(ごししょ)は中国・春秋時代末の楚(そ)の武人。

生年未詳 前485年 本名は伍員(ごうん)

讒言により父と兄が楚の平王に殺され

呉に亡命、のちに楚と戦いあだを討った。

 

讒言(ざんげん): 他人を陥れようとして事実をまげ

いつわって悪しざまに告げ口をすること。

 

国立国会図書館デジタルコレクション 035

 

黄河と長江の間を流れている川

淮水で平王の墓を探す伍子胥

 

紀元前513年、呉王闔閭(こうりょ)は伍子胥などをともなって楚に攻め入る

激戦が繰り広げられたが紀元前506年、

呉は楚の都・郢(えい)を制圧し、楚の昭王は隋に逃れた。

ついに伍子胥に父と兄の恨みを晴らす時がきた。

ところが、仇の平王はすでにこの世にはいない

怒りのやり場を失った伍子胥は恐るべき行動に出る。

平王の墓をあばき白骨化した死体を何度もむち打たせたのである。

これが「屍(しかばね)にむち打つ」の語源となった。

 

復讐の鬼とまで言われて後世に名を残したけど

人はそこまでなれるのかな? それも300回とか。。。